2012年5月21日 (月)

わが素振り信仰 

私は若い選手たちに素振りをしつこくさせている。
何百回もさせてみなを驚かした。私も人並みにみなが素振りが嫌いなのを知っている。それが喜ばれないことを知っている。
選手たちが喜ばないことを好まないものは、させないことが私にはぼんやり分かっていた。なのに私は素振りを信仰している。
私は苦しい練習を面白いと感じさせるのが本当の指導者だと思うに至った。みなは最初からやろうとしないのである。それにもかかわらず素振りは上達への近道である。私は振りの悪さを切り抜けるのに素振りをさせることを思いついた。そして徹底することにしたのである。私いわく。素振りを制するものはバドミントンを制する。練習の原点。振り出しに戻る。これこれしかじか。
力一杯の振りは素振りでないと身につかない。文字どおりシャトルを打つのと同じように全力で振るのである。いまは振るより打つが主流になっている。みなは私が素振りをやらせるのを冷ややかに見るだけである。私の素振り信仰の念はいまも生き続けてなお去らないのである、云々。
(*二〇一二年五月二十一日記)

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2012年5月14日 (月)

健身です(その三十二)

●健身です。いらん外交をする鳩ぽっぽはつねに心配を裏切らないような気がします。
●健身です。昨日はヘミングウェーでした。歯がために金はいるとです。(誰がために鐘は鳴る)
●健身です。日本の投手は一年しかもたないんだ。大リーグではかならずいわれます。(党首)
●健身です。異人さんに連れられて行っちゃったは、曾じいさんに連れられて行っちゃったではありません。(赤い靴)
●健身です。思えばいと疾しこの年月は、思えば一昨年この年月ではありません。(仰げば尊し)
●健身です。「塵も積もれば山となる」といって、試合で負け続ける千里ちゃんを励まとるとです。
●健身です。私がいちばんうまくできるのは寝っ転がってなにもしないことです。
●健身です。結婚は神の前で誓ったって気が変わるとです。
●健身です。逞しい/こんな嫁に/だれがしたと思うことがあります。
●健身です。薬物依存とバドミントン依存はどっちが悪いのか分かりません。
●健身です。宇宙にはどれくらい星があるの。星のくらいです。
●健身です。昔は島倉千代子さん(歌手)の贔屓でした。いまはバドミントンに興奮しまくらちよこです。
●健身です。蟻は蝶のように舞い蜂のように刺しました。モハメド・アリといったら古いといわれたとです。
●健身です。無声映画が声が出ないくらい面白かったとです。
●健身です。バドミントンにマインド・コントロールされているのかと思うと複雑な気分になります。
●健身です。競技団体の古参幹部とぜんざいを食べに行きました。甘い汁は全部おれが吸うといわれたとです。
●健身です。体重が三十キロ超の知人がいますが、いつもその余分な重さが鍛錬代わりになっているというとです。
●健身です。複の試合中に相棒にもしもし、はいはいといっていたら、相手にサービスをされて1点取られてしまいました。(防衛大事)
(*二〇一二年五月十四日記)

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2012年5月 7日 (月)

問題はないのか 

五月三日、五輪出場者が確定した。アジア・バドミントン選手権大会(四月中旬・青島)の男子単準決勝はリン・ダンさん(中国)が予想どうり棄権したが、あれは同僚のチェン・ジンさんを優勝させるためだったのか。
五輪は世界順位一~四位に各国・地域が獲得可能な出場枠は三人だが、四月十七日現在の世界順位はリンさんが二位、チェン・ロンさん(中国)が三位、チェン・ジンさんが五位ではなかったか。このままではチェン・ジンさんは出場できなかった。違うか。
出場するためには獲得得点が僅差四位のピーター・ゲードさん(デンマーク)を上回らなければならない。リンさんはまたやったといわれている。
故障といわれればどうしようもないだろう。大会は道を譲られたチェン・ジンさんが優勝した。順位が四位にあがったではないか。五輪ではリンさんは棄権なんかするはずはないといわれているが。それにしてもリンさんは途中棄権が多かった。
ここに怪しむべきはインド・オープン(四月末・ニュー・デリー)の準々決勝をチェン・ジンさんが棄権したことである。ゲードさんが先に敗れたのを受けてのことだった。再逆転される可能性が消滅したためである。中国はこういったことをよくやるという。
(*二〇一二年五月七日記)

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2012年4月30日 (月)

混合トリプルス 

バドミントンの試合は非常に激しいのだ。激しい力、速さ、フット・ワークによって勝つことができるのだ。長時間の練習や試合は怪我がしやすくなるのである。高齢者の負傷率が高いだろう。そこで十年前に台湾で混合トリプルスが考案されている。これは高齢者が長く続けてやれることを願ってのことだった。三対三でした。前衛が二人で後衛が一人だった。
後衛はサービスはできないが、レシーブはできた。後は複と同様だった。二百歳組は女子六十歳以上、男子六十五歳以上だった。二百二十歳組は女子六十五歳以上、男子七十歳以上である。
私はまだ混合トリプルスはしたことがなかった。八十歳代までは若い人たちと単をしたいと思っている。九十歳になったら複をする。
混合トリプルスは百歳になってからと考えていた。
台湾では混合トリプルスの試合に賞金が出る。一位一万二千台湾ドル、二位九千台湾ドル、三位六千台湾ドル、四位三千台湾ドルだからいい。みなこの年になって賞金が貰えるとは思わなかったと喜んでいるのである。
(*二〇一二年四月三十日記)

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2012年4月23日 (月)

バドミントン選手たち 

中国、韓国、インドネシア、マレーシア、日本、デンマーク、ベトナム、インド、ドイツ、台湾、香港、タイ、世界順位十位以内の選手たちだ。これが二十五位以内になるとシンガポール、ロシア、ブルガリア、オランダ、フランス、カナダ、スペイン、イングランド、スコットランド、米国、ポーランドが加わった。いまベトナムが強いのかという人がいた。なに、ロシア、ブルガリアという人がいるのだった。えっ、スペイン、フランス、ポーランドという人もいる。ある選手は八か月間で二十七もの国際オープン大会に出場していた。
いちばんうえのスーパー・シリーズはファイナルを含めて十三試合、つぎのグラン・プリは十六試合で、インターナショナル・チャレンジは二十八試合、インターナショナル・シリーズは二十一試合、フューチャー・シリーズは九試合あった。
これらの大会は世界順位上位三十二人だけが本戦に出場できるのだった。順位が下の選手はコートに立つ権利さえ与えられなかった。
何度もいうとおりバドミントンの賞金は少ない、アシアタ杯(東南アジア諸国連合主要六か国による男子団体戦)でも総額約八千二百万円なのだから話にならない。ただ前向きに考えればテニスやゴルフのように大金を稼げる可能性はあった。
日本ではよくバドミントンにプロはいないのですかと聞かれます。賞金はと聞かれます。
日本にもプロはいました。けれども賞金で飯が食える選手はいないのでした。契約金も僅かなのでした。会社とプロ契約をしているといったって契約社員みたいなものなのです。
(*二〇一二年四月二十三日記)

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2012年4月19日 (木)

オーストリアからのメール(23)

◆二〇一二年三月五日
芦原コーチ、今日は。たいへんお久しぶりですね、お元気でいらっしゃいますか。私は相変わらずとても元気です。オーストリアばたばた人生をやっております。
もう終わりましたが、オーストリア国際がウィーンで開催されましたね。ちょうど一年前、芦原コーチがシャオマとユーポをつれてフェルトキルヒにこられた日々を思い出しております。
お陰でいまもFacebookを通して毎日シャオマやユーポを見ています。シャオマは今日、イケメンの白人男性と一緒にバドミントンの試合会場での写真を投稿していましたよ。
最近はウィーンの田中雅彦さんもFacebookを始められて、よく連絡をとっています。来週末にウィーンに行くことになり、田中さんたちに連絡しようと思っています。
三月十一日の東北沖大震災からちょうど一年に当たる日、ウィーンの楽友協会で日本の知人が団長を務める合唱団とウィーンの楽団、ヴェルディ合唱団の共同演奏会が開催されることになり、オーストリアの西から東へと横断する予定です。
◆二〇一二年三月二十三日
お返事ありがとうございました。お元気そうで何よりです。といいたいところですが左足首の具合は芦原コーチの頭と反比例のようですね。診断の結果が肯定的であることを祈るばかりです。
来月から台湾にまた行かれるとのこと、もっこすバドキチ健在。もっこすバドキチここにあり。楽しい旅になりますように。シャオマとユーポのお母様にどうぞよろしくお伝えください。
フェルトキルヒのバドミントンもこれからどうなっていくんだろうと考えさせられること多々ですが、愉快な仲間たちに変わりはありません。サリーナちゃんとナタリーちゃんがスイス・オープンの複に出場、予選一回戦で見事に散りました。
失礼なみはるですみませんが、芦原コーチはお顔に似合わず花が好きでしたよね。いま見事に咲いてます。茄夫人(ナディンちゃん)が蘭に名前をつけてくれた記念に写真をとりました。それではまた。みはる
(*二〇一二年四月十九日記)

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2012年4月 9日 (月)

旧人類に裾出しなし 

かつてバドミントンの選手は運動服の裾を短パンの中に入れていた。裾が出ていると注意をされたのだ。見苦しい服装とされたのだった。
サッカーでもかつては裾出し禁止の規則があったのである。
それが最近は裾を出している選手が多く見られるのである。流行なのかと思っている。
裾出しが急速に広がったのだ。裾出しが普通になっている。そういうことなのだ。これ以外の話があろうか。これは好みの問題である。私はめくじら立てることではないと思っている。べつに裾出しは悪いとは思わない。いいとも思わないのである。日常生活でもシャツの裾出しは多い。服装の価値観の変化だが。このことなら書くにおよばない。若い人たちは裾出しが好きらしい。夏は風通しもいいらしい。どうもそのようなのである。いずれにしろ裾出しが大半を占めている。友達はあなたもシャツの裾は出したらという。それなら私には似合わない。そういって裾を短パンの中に入れているのはひとり私だけである。
(*二〇一二年四月九日記)

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2012年4月 2日 (月)

入れては漏れるバケツの破れ 

あの選手は見込みがない。どうにもならず。
こういった話がよく聞かれるのである。指導者に見捨てられている。なによりあいつは下手だからというのが嬉しい。私にいわせれば下手だから可能性がある。
わが日本のバドミントン指導者は下手だと見放している。下手だということは上手になるということである。念のためにいうと、下手なものを上達させるのが指導者である。それができないのはいい気味である。
なぜ強くできないのか。ちゃんとした指導をすればみな人並み以上になる。それができないのはちゃんとした指導をしていないことと同じである。私はそう思っている。
ついでながら見ただけで強くならない原因がなんなのか分かることがたくさんある。ラケットの握りがおかしいもの。足が逆足。シャトルを押している。以下、略。
指導者を私は優秀な人とどうにもならないものに分けている。むろん私は後者だ。もし私が優秀なら、私は何人もの五輪金メダル受賞者を育てているだろう。それができていないから悩むのだ。
私はいつもバドミントンの指導を破れバケツにたとえる。バケツに穴があれば水は漏れます。それは破れているからだ。漏れると分かっているのに水を入れる。そうだよ、かならず漏れるからいうんだよ。
私いうには、その穴を修理する。できるだけ小さくするのだった。そうするとほかのすべてがよくなるのである。やがて強くなるのである。そう考えてもらえればありがたい。
(*二〇一二年四月二日記)

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2012年3月26日 (月)

やっぱりお金である 

昨年の九月、全国高等学校体育連盟は、選手が着用するゼッケンに協賛企業名だけではなく商品名を入れることを決めたのである。新たな財源確保に迫られたからである。かつては高校生の大会にお金は馴染まないといっていた。おお、いまは馴染むようになったのである。それにつけても金の欲しさよ。
いっぽう、子どもたちのバドミントン指導を無報酬でしているという話をよく聞く。希に指導者の鏡と褒められるのだった。無報酬でしている人はけして自分が特別な存在だとは思わない。
人はみな自分のようであるべきだと思う。大方の指導者が無報酬を強調するのは不思議なようで不思議ではない。自分がお金にならない存在だからだった。なら、無報酬しかない。だから、神のごとき存在になって無報酬をいうことができるのである。
自分に指導力があったなら、きっと貰うだろうことを非難するのだった。どうして他人に無報酬をいうことができよう。いくらなんでもいまの時代に無報酬はおかしよといってもなかなか承知しないのは自分が貰えないからだった。じつは残念で残念でたまらないのである。あいつは何十万円も貰った。
なのに自分は無報酬を余儀なくされている。悔しくてならない。子どもたちの指導ぐらい無報酬でといわなければ自分の立場はない。それにつけても金の欲しさよ。
(*二〇一二年三月二十六日記)

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2012年3月19日 (月)

ならば競技方法も世界基準に 

東京大学が九月入学にするといっている。五年後のことになる。世界に合わせるのだという。
ほかの大学も検討を表明しているだろう。国際化のために必要なのである。
明治の前半、日本は九月入学にしていた。それを大正になって、四月にしたのだった。政府の会計年度と徴兵制に合わせたのだ。
四月入学は特異なことだった。世界とずれている。日本はガラパゴス化が表面化してきている。
入学式は桜咲く春にというものはまだいるのだった。おめでたいのである。四月に学校が始まる国は日本、インドほか七か国しかなかった。
お話変わって、スポーツはもともとクラブ間の競争なのである。スポーツが誕生したときからそうである。ところが日本はそうではなかった。企業間、学校間の競争にしている。
いまためしに全国中学校バドミントン大会を見ると、学校対抗になっている。これは世界とは違うのである。
これはする側の都合ではなかった。させる側の都合だった。日本中学校体育連盟は同一校編成を強いていた。したがって、町のクラブは出場できなかった。競技方法をほんらいのクラブ間の競争にしようといっても、だれも聞かなかった。もう世界で通用しないことは日本でも通用しなかった。
(*二〇一二年三月十九日記)

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