2008年5月14日 (水)

西螺の休日

西螺(シールオ)に行った。モーニングカップ国際バドミントン大会(台北体育館・二〇〇八年三月二十一~二十三日))の終わった翌日だからちょっと辛い。全國中等學校運動會羽球資格賽が開催されると聞いたからである。場所は雲林縣立西螺國民中學羽球館(國民中學)、雲林縣立羽球館(羽球館)である。白宜潔さんの競技を見る目的があった。彼女はモーニングカップで日本人の世話役をしてくれる謝恵麗さんの娘さん。
長身の十七歳である。台湾の星、基本練習は昨年見たのである。今回は試合を見てみたいな。といっても西螺はどこ。台北の二百二十キロ南といわれても見当がつかないし。
台中の南の彰化のもっと南と聞いても分からない。ちょっと心配になる。それなら行ってみるまで。教えてもらった路程は①王朝大酒店~台北駅②國光客運巴士西站~西螺③西螺站~羽球館。早朝、台北から高雄行きの国光号に乗ったのである。約3時間のバスの旅だった。バスの中は中国語の世界だった。西螺站からは羽球館へ行くという高校生と一緒になったのである。これがすこしも英語が通じなかった。羽球館の前に行ったら知人の呉文達さんの銅像があったのである。本部席に行って謝さんを尋ねたら國民中學の方だった。事務所で道を尋ねていたら白さんが駆けつけてきた。一年ぶりの再会を喜んだ。
國民中學へは、事務所の若いあんちゃんがオートバイに乗せてくれるという。街を、ヘルメットもつけないで疾走した。これが映画なら「西螺の休日」。それがどうしたとみないうだろうが、「ローマの休日」を知らない映画好きはいまい。
國民中学に行ったら顔見知りの男性がわあこんなところまできたのかという。試合を見ていたら林瞳露さんが審判をしていたが、林さんはモーニングカップで混合複のペアを組んだ温秋琴さんの娘さんだから、世間は狭いことを実感する。
役員席に行ったら大歓迎で、精進弁当、枇杷、お菓子、珈琲とつぎつぎと出てきて温かい。みなよくここまでこられましたねといってびっくりしていた。言葉も分からないのにといって、感心されたのは無謀ということか。謝さんに、よかったらもう一週間ほど残っていかれませんかと勧められる。
それはいい考え。けれどもそうもいかないのである。帰りは西螺站まで古い街並みを眺めながら歩くことにする。肝心の全國中等學校運動會羽球資格賽は、日本の高校生、中学生と同水準といったところか。西螺は醤油の産地である。20分ほど歩いたら西螺站に着いたのです。
西螺站からは高鉄(新幹線)の鳥日駅までバスが出ているらしい。そう聞いていたら、そんな駅もバスもなかったのである。
それなら、きたときの逆に帰ればいいのである。台北行きのバスに乗りたいといったら窓口のおばさんが困った顔をしているだろう、どうも乗れないといっているようなので押し問答をするうち、みななんだなんだといって集まってきた。
英語の話せる小姐(お嬢さん)の説明によれば今日のバスはすべて満席らしい。これはまずい。どうしても台北まで帰らなければならないから、懸命に訴えたのである。そうしたら本社に連絡を取って席を空けてくれたから、ありがたいだろう。
出発まで1時間半あったので中山路をぶらぶらしていたら空きが出たので一つ前のバスに乗れという。ところが今度は購入した切符がないだろう。また一騒ぎである。再度切符を購入して、乗ったのはいいが、よく騒ぐ日本人ですぞ。
出てきた切符は台北西站の窓口で払い戻しをしてくれると聞いていたが、これまた言葉が通じなかった。運転手さんがきてくれて、説明してくれたので三百二十元が戻ってきた。運転手さんに、私は何度も謝謝(ありがとう)といって固く手を握った。見かねて協力してくれた見知らぬおじさんにもだ。
それにしても声が大きいというのは、得である。みなすぐ集まってきて、なんだなんだといって、助けてくれるのだった。
けれどもこんなの自慢にならないのである。その後台北駅の地下から南京東路までMRT(台北大衆捷運系統)に乗ろうとしたら、単程標(片道切符)がカード式からコイン式に変わっていた。
私はこれは切符なのかとまた地元の人に尋ねる。台湾に親切な人多し、だれかうまい文章で書いてくれないか。書けばみな台湾が好きになるだろう。
(*二〇〇八年五月十四日記)

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2008年5月 7日 (水)

うまくなったねという

娯楽志向のバドミントンクラブに行ったときにはどうすればいいか、褒めるよりほかないと長年私は褒めちぎっているが、そればかりではいけないだろうからここですこしいうことにした。ただ褒めるときはコートの中ですぐいう。下手でも沢尻さんうまくなったねと回りに聞こえるようにいう。
たとえば私がエリカと複のペアを組んだときだ。そのエリカときたら、うまくなったねといって褒めると、その喜ぶことひとかたではない。ただし、もうちょっとネット前ができるようになるといいのだけれど、とつけ加える。
褒めるといいのではあるが、褒めてばかりいると、まさかとは思うがエリカは増長するかもしれない。だから、もちょっとネット前ができるようになるといいのだけれどとつけ加えるのだ。まず最初に沢尻さんうまくなったねと褒めて、有頂天にさせ、そしてもちょっとネット前をというと、一生懸命に聞いてくれるから私はにっこりする。
これがたとえば最初にエリカに、あなたはネット前が下手だ、というと駄目なのである。エリカがべつにといってふて腐れるのはそのせいである。日本のバドミントン指導者でもっとも欠けているのはこの姿勢であること、褒めることだ。選手のやることを肯定したらなんでも聞いてくれる。いま悪いのは最初に否定するそのせいである。
私はエリカに、沢尻さんうまくなったねと褒めるが、このごろ見られるようになったのは、長くやっておればだれでもそれなりにうまくなるからだ。さりとて市町村民体育祭以上の水準にはならないだろう。エリカたちの複は終始サイドバイサイドで嫌だが、四人で半面単をしていて、トップアンドバックになることがないと、私は笑っている。
本当をいうと私はそれをいうことを控えている。人を見て指導をしろという。私とて娯楽志向の人たちにはいわないこともあるのである。
(*二〇〇八年五月七日記)

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2008年4月30日 (水)

こんなものはいらないのである 

こんなものはいらないのに、あるとはみなが嘆く嘆きである。これは五輪の聖火リレーはいらない、迷惑だというと、すぐ分かる人と、なんのことだか分からぬという人に分かれるから念のために書く。聖火リレーの国際コースというものはほんらいないのである。あれはやりたくてやっている。聖火は平和の象徴で、それならついでに抗議もない。もしあなたが聖火リレーの走者で、警察官四千人、百人の警備隊に囲まれて走ったとする、あなたはあれを思うと聖火リレーの体をなしていないと思う。あなたあれを見てだれのためにリレーをしたのだろうと考える。
北京五輪の代表選考会をかねた柔道の全日本選抜体重別選手権、優勝しても選ばれないというのはそもそも不本意なのである。とうてい承知できないことである。それは私たちの心の中に優勝しても選出されないならなんのために練習したのか分からないという気持があるからで、男子は全員優勝者から選ばれたのである。女子は六人のうち五人が優勝者ではなかった。
だから、おかしいのである。ついうかうかとしていたら、いつのまにか海外での実績だという。勝ったとそのつもりでいると経験だという。がんばったのに、なんにもならないのである。
まことにスポーツのテレビ中継はよく喋る。映像を見ていれば分かるのに、アナウンサーが時間をおかずに喋り続けるのは納得できないことである。画面に巨人対ヤクルト、5対2、2ストライク2ボール、1ダウンと出ているのにそれをいったからといってなんにもならない。煩さいだけである。なによりおお、音声を消して見るのである。こっちは静かに見たいのに。
こんなものはいらないといったが、一塁コーチもそうだと思ってくれ。あれはなんのためにいるのか分からない。必要なし。だから、その目で野球の一塁コーチを見て御覧、あれは自チームの選手がアウトで駆け込んできても、セーフの真似をするだけの存在になっているから。
(*二〇〇八年四月三十日記)

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2008年4月23日 (水)

それくらいなら知っていた

日本のバドミントンが娯楽志向へ様変わりしてからというもの、数だけはうじゃうじゃである。コンビニみたいだが、みなコンビニ内にとどまって外に出ようとしない。あれはあれば便利だった。なくても困らないから私はコンビニバドミントンといっている。
●日本のバドミントンは一日に六試合も七試合もさせているが、冗談ではない。選手の足には体重の三倍から五倍の負荷がかかるのである。その負荷は約2時間分で、二試合分で、それ以上はしてはならないのにしなかったことがない。
●バドミントンは心-技-体といわれて何十年になる。そうではない、体-技-心だよ。なぜですかと聞くから優先順が逆だと答える。さらに中距離走はバドミントンの恋人と、インターバル走を勧めたら、あれはきついから勘弁してくださいといってきた。
●バドミントンで世界一をつくるには八年から十二年が必要である。あるいは一万時間が必要だ。約十年はかかる。ついでながら一貫指導が必要だと、これは何度もいった。
●スポーツ選手はというと、成功者に欠かせない資質がある。学者の言葉を借りれば、楽観的なことである。楽観的な人は悲観的な人に比べ困難を乗り越える能力が高いのである。
●バドミントン部の練習後、中学生がうちの学校ではバックハンドの練習をさせてもらえませんとぼやいていた。しかもフォアハンドができるまでするなといわれているといった。間違いである。はやくやらせるがいい。いまからでも遅くない。三か月でできる。バックハンドはとても打ちやすいのである。
(*二〇〇八年四月二十三日記)

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2008年4月16日 (水)

健身語録の三十(16)

■バドミントンは見るのも面白いが、するのはもっと面白い。
■暴力をふるわなくても指導はできる。
■バドミントンと恋愛は惚れた方が負け。
■みなやる気、意欲はもっているが、中途半端なものでは成功しない。
■練習で追い込み過ぎるな、試合前に息切れする。
■浮き沈みを知らない選手はいない。
■自分のうえにいるのが虎だったら諦めるけど、みな普通の人間。
■モーツアルトをいちども聴いたことがなく死ぬ人がいたら可哀想だ、バドミントンの面白さを知らずに死ぬ人も気の毒だ。
■選手は強くなりたいと思わないと絶対強くなれない。
■バドミントンの極意は剣の極意、心をどこにも置くな。
■抵抗なくつぎの動きに移れるのは柳の木状態。
■試合はいかに相手のよさを消すか。
■介護とバドミントンは逃げるより攻めろ。
■思い出に残る試合はすべての負けた試合。
■負けて覚えるのは悔しさだけ、勝ってはじめてやっていける。
■ビタミンBが足りないのが脳足りん。
■バドミントンはコートの中の宗教戦争。
■打てるものなら打ってみろ。
■私、バドミントンに好かれたい。
■練習をしなくては試合の前に負けてしまう。
■バドミントンにこうすれば勝てるという定理はない。
■スポーツでいちばん大事なのは練習後にクラブハウスで語り合う習慣。
■バドミントンはネットのうえにある勝利の取り合い。
■自分にいちばん期待しているのは自分。
■選手が強くなるのは化学反応みたいなもの。
■敗北はあなたはその程度ですかと神様がいってくれたようなもの、相手と負けに感謝しなくちゃ。
■ときはみなに同じだけある、それをどう使うか。
■ちっちゃな成功体験、ちっちゃな自信。それを重ねて心臓に毛が生える。
■ラケットと大切なものはそっともて。
■犬と人間は煽てて伸ばす。
(*二〇〇八年四月十六日記)

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2008年4月 9日 (水)

みなさんチベット弾圧に抗議しましょう 

中国のチベット弾圧問題で欧州では北京五輪開会式への首脳不参加の動きに火がついたという。わが国はどうするか、首相は声高に非難し五輪と関連させることがいまの段階で適当かどうかよく考えなければいけないといっているから、抗議することを勧める。
日中両国の間で、皇太子殿下の五輪開会式への出席が検討されているのは、悪い冗談としか思えない。親中派の首相だが、胡錦濤さんの来日はぜひとも実現させたいらしい。ここで下手に批判して取り消されては元も子もないのだった。英王室のチャールズさんは出席しないと発言して、日本の皇室からもだれもこないとなると中国の面子は丸潰れではないか。首相は政権浮上のために、日中友好を演出しようとしている。
とはいえ中国のチベット弾圧。チベット住民の人権に目を瞑ってはならないのである。もし皇太子殿下が出席したらそれは世界に恥をさらすことになる。出席は、日本の将来におおきな禍根を残すことになるのではないか。毅然と要請を断るべきである。首相が中国に偏するあまりその圧制下で苦しむ民族に他人事のような視線しか向けられないのは情けないことです。
ロンドンでは在英チベット人らが聖火リレーに抗議行動を起こした。聖火を消そうとしたりトーチを奪い取ろうとしたから、走者は聖火警備隊に二重三重に囲まれてリレーを続ける事態になったのである。
パリではといったら、中国政府を非難する人権団体などによる抗議が相次いだのである。道路に横たわって抗議する団体があったという、警官隊が聖火を避難用バスに退避させるなど、途中で打ち切りになった。
このうえは各地で抗議の声が続くと思うよりほかない。これほど心を塞ぐ聖火リレーはない。三月、ギリシアで行われた採火式ではといったら、国境なき記者団の顔触れが乱入したのである。サンフランシスコやニューデリーでは市民から隔離リレーされたから、聖火は成果がないとでもいうしかないだろう。
北京五輪は中国共産党の祭典だろう。日本の首相がチベット問題についてなにもいわないようでは駄目だろう。それをいうのがお友達である。中国政府が武力弾圧を称して、暴動はダライ・ラマさんの策動と決めつけるのは勝手だが、中国政府諸君、あれも君たちのせいですぞ。
(*二〇〇八年四月九日記)

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2008年4月 3日 (木)

ちかごろバドミントン界の眺め 

二〇〇八年二月十日のことです。私は日本バドミントン協会のホームページを、なんとなく眺めていました。二〇一二年から国民体育大会、日本スポーツマスターズ、全国スポーツレクレーション祭の監督は日本体育協会(日体協)が定める公認スポーツ指導者でなければならないと決定しましたとあったのである。
多くの人たちのように私もこれを読んで、そうなのかということをぼんやり理解した。それは他の大会もそうなのかと思ったら、そうではないことが分かった。文部科学省と日体協が主催する大会だけ資格がいるというなら、それは変な話になる。
プロ野球は監督になるに当たって、なにも資格はいらないのである。元選手がなっているから、それで支障がなくて、見るにつけ、プロ野球は日本スポーツの王様だった。
こうなると資格とはなにかで、選手としての経験も一つの資格だった。それは十分の一は役に立った。厳密にいえば九の勉強はいる。資格は足の裏の米粒のようなものだった。取らないと気持が悪い。小中学校の運動部の監督は教員で、スポーツとはなんの関係もないと知人は笑う。ミャンマーの大統領資格はおかしかった。軍事知識だという。
もう一つ、中国オープンバドミントン選手権大会(二〇〇七年十一月)の審判団は酷かった。中国選手に有利に判定したのだった。覚悟の誤審で、これでは相手に気の毒だし、選手と同一国籍の審判は試合に関われなくするしかないが、中国選手と韓国選手の男子複では韓国選手が怒って途中で試合を拒否したから、それは大会始まって以来の珍事で、もう、疑惑の判定はハンドボールばかりではないのである。
つぎは韓国オープン(二〇〇八年一月)のことになります。世界バドミントン連盟は審判の身贔屓を、調査することになりました。男子単決勝のイ・ヒュン・イルさん(韓国)対林丹さん(中国)の対戦で意図的な誤審が繰り返されたのです。
これは明らかなお返しだ、身贔屓で不公平で、これではバドミントンがプロレスみたいになってしまうと、林丹さんが大荒れしたから私はざっとこんな風に思っている。けれども稀には敵地で戦うということはそういうことだという話もある。
(*二〇〇八年四月三日記)

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2008年3月27日 (木)

元中国選手が仇になる

いくら卓球の世界選手権団体戦(二〇〇八年二月・広州)で日本男子が三位になったからといって喜んでばかりはいられない。準決勝の韓国戦を見てみたまえ。三人のうち二人は中国から国籍を移した選手だったと、知人はいっている。
知人は拘る。日本男子の八年ぶりのメダルは喜ばしいが、元中国選手あってのことだから心から喜んでいいのかどうか分からない。元中国選手頼りではいけないに決まっている。さりとてほかに方法はない。だから、国際卓球連盟(ITTF)が国籍を移して国際大会に出場する選手に関する制限を決めたと聞くとぎくりとする。
ITTFは十五歳未満で国籍を移した場合は三年、十五歳以上十八歳未満は五年、十八歳以上二十一歳未満は七年、世界選手権などITTFが管轄する大会に出場できないと決めている。二十一歳以上は完全に出場を認めない。この規則は五輪、国内大会には適用されないからご安心。
なぜこんなことになるのかと思っていたら理由があるのである。卓球の世界選手権は中国人選手ばかりになっているが、その話を聞いたら、なるほどと思ったのである。
いまのままでは中国人のための世界選手権、異常事態だと考えてくれ。競技の未来を危ぶむ声も出ているが。こうした不安が囁かれている。いま各国の代表は中国から国籍を変更した選手ばかりで、目立って仕方がない。とくに女子は世界順位上位十人のうち中国人は五人、中国から国籍を変更した選手が四人になります。中国人ではない選手はというと、九位の福原愛さんのみになります。彼女は中国勢の一員という話もあります。女子団体二位のシンガポールも三位の香港も中国人選手が主力になっている。
韓国も米国やオーストリアやオランダなども中国出身選手が名前を連ねているのである。スポーツには国籍も、国境もない。あるのは実力だけ、それでいい。なにも問わない。ただここまで世界の上位が一国の出身選手で占められるとです。
これでは人気が低下しかねないが、五輪から外される恐れもある。これは卓球の話だが、やがてバドミントンでもこういった話が出てくるかもしれない。
(*二〇〇八年三月二十七日記)

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2008年3月19日 (水)

健身です(その十八)

●健身です。バドミントンはシャトルを叩くより、鵞鳥を直接叩いた方が強くなるような気がします。
●健身です。バドミントンが好きな知人は賞罰にバツイチと書く律儀者です。
●健身です。試合前の相手の練習を見て負けた気分になることがあります。
●健身です。キム・ヨナさんが韓国民の妹なら、おれの妹でもいいんじゃないですか。
●健身です。このたび嘘つきクラブの会長になりました。バドミントンのとき本当のことをいうためにいつも嘘ばかりつくです。
●健身です。バドミントン界であの人はいい人といわれたら、どうでもいい人だから気をつけないといけません。
●健身です。おれはもてるという選手がいて、みな持て余しています。
●健身です。ラケットは黒色の方が強く見えるような気がします。
●健身です。鬱病で死にたいという元バドミントン選手がいます。鬱病はかならず治るから治ってから死ねといって励ましとるとです。
●健身です。亀田大毅さんはレスリングの方が向いているような気がします。
●健身です。私が手術をしてもだれも心配しません。再起不能といわれてもあの人はだいじょうぶというとです。心配ぐらいしてほしかとです。
●健身です。バドミントンをやめるほどの勇気がありません。
●健身です。バドミントンが最速タイムと思ったら、ハミルトンさんだったとです。(*自動車F1)
●健身です。練習後、男根と睾丸がちいさくなっています。
●健身です。一目惚れと聞いただけで、米ではなくバドミントンといってしまいます。
●健身です。口撃バドミントンのおじさんがいます。
●健身です。おれが走る河川敷であんまりくっつかないでください高校生の男女。
●健身です。試合時間が近付いているのに大便が出んとです。
●健身です。一ゲームが終わっておれが負けているのだから、相手に助言なんかしないでください。
●健身です。試合のとき嘗めているのは禁止薬物ではなくただの岩塩です。
●健身です。試合のときコートの横に置く塩はオグシオではありません。
●健身です。試合のときいつも運動服を七、八枚用意します。一枚しかいらないときがあるとです。
●健身です。スポーツのマッサージなのに、いゃーん、ばかーん、そこ、そこなのよといってしまいます。
●健身です。私の友達の友達はバドミントン選手なんですよね。アルカイダではありません。
●健身です。三段跳びをして、ホップ、ステップ、肉離れだったとです。
●健身です。サッカー日本代表の岡田武史監督を見ると、ロダンの「考える人」に見えることがあります。
(*二〇〇八年三月十九日記)

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2008年3月13日 (木)

林檎と珈琲は仲間である 

林檎に私が興味をもったのは、林檎から抽出されるポリフェノールには筋力を増強して内臓の脂肪を減らす効果があると聞いたからである。赤ワインや黒豆などに含まれるポリフェノールは老化や癌の要因とされる活性酸素を除去する働きがあった。すなわち体脂肪率抑制が必要なスポーツ選手に効果が。
また最近は珈琲には減量や癌の予防に効果ありという研究がたくさん発表されていた。珈琲には健康力が隠されているのである。飲んでいるとき、そんなことは考えたことはなかった。朝飲むと目が覚めてしゃきっとするが、茶素が自律神経を刺激するので、血行がよくなるのである。
代謝が活発になった。脂肪の燃焼が促進されたが、米国での研究によると茶素摂取量の多い人は体重の増加があまりなく、珈琲が糖尿病や癌の予防に繋がるという研究が数多くなされていま大騒ぎである。
多く飲んだ人の方が糖尿病の発症率が低いから、ポリフェノールが血糖値の上昇を抑えるのだろう。珈琲の摂取量が多い人ほど癌になる危険性が低いとする研究結果も発表されている。癌は脂質が酸化してできることはいうまでもない。過酸化脂質が発生原因の一つとされている。
ポリフェノールには抗酸化作用があったが、癌予防に繋がって、珈琲は胃腸の働きをよくし、便秘を解消をした。
珈琲は運動前に飲むと運動能力が高まると聞いたことがある。私はその実感がなく飲んでいる。案に相違して、なにも考えずに飲むのがいいのだった。くつろいで飲むのがいいのだろう。
もっともいい面があるからといってそればかり飲むのは考えものだった。なんでもほどほどなのはいっておく。珈琲にも負の面があるが。毎日飲むと自律神経系の反応低下に繋がるという。それでいて私たちはまったくその実感がない。
十七、八世紀ごろ欧州の話は面白い。珈琲を過度に摂取すると肉欲が根絶やしにされるという話は本当かと声が出ない。ばかりか珈琲には毒があるといわせた大王もいた。不妊の原因となるとされて禁止された時代もあった。
フランスでは珈琲が心身に悪いという風説があった。ために牛乳をよく混ぜ合わせて珈琲の毒性を相殺しようとしたのである。いま私たちがカフェ・オレを飲めるのはそのせいで、あんなもの混ぜてもなんの関係もない。ほんとはなんの効果もないことみなが知っていたとすれば、珈琲は千の接吻より甘かったのではないかと思われる。
(*二〇〇八年三月十三日記)

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