2009年7月 1日 (水)

ヒアルロン酸のお話

いまヒアルロン酸が注目されているのだった。ヒアルロン酸は体内に含まれている成分である。その優れた保水力で注目を集めているのだった。医薬品などに使用され、関節の痛みに伴う注射薬にも、使用されていたが、私は八年間打ち続けているのだった。
細胞にも、適度な潤いを与えているのだった。ヒアルロン酸は非常に高い粘性と弾性が特徴だった。傷口が治るときに関与していた。
炎症時など細胞を修復する際に関与しているのである。ヒアルロン酸は、体の様々なところに存在しているのだった。とくに臍の緒、関節液、皮膚、目などに多く含まれているのだった。関節では関節腔、軟骨などに含まれているのだった。
ヒアルロン酸は、関節の動きをよくするのである。衝撃を吸収するのである。座布団の役割を果たしているのだった。
年輩者に起こる関節の痛みの一つにヒアルロン酸の減少があるのである。正常な関節の表面は硝子のようである。つるつるした軟骨で覆われていた。これが関節の動きを滑らかにしていた。それが加齢とともに表面がざらざらして弾力性が低下してくるのだという。
力のかかる部分がだんだん磨り減ってくるが、関節を包む滑膜にも炎症が起きるという。これが進行すると力のかかる部分の軟骨がなくなった。痛みが強くなるだけではなく関節の変形が生じたり滑膜の炎症が進むという。私の足首はここまできたのである。それで手術をしたうえでヒアルロン酸の関節内注射を続けているのである。減少したヒアルロン酸を補っているのである。お医者さんは関節のヒアルロン酸の産性能を高めたり痛みや炎症を抑えるためだという。
ヒアルロン酸の関節内注射は、関節の動きをよくするのである。軟骨の摩擦を、押さえて、症状の悪化を遅らせるのである。
軟骨の修復を促す可能性もあるとされているのである。もっとも注射に頼るだけでは駄目だった。運動をすることが大切だった。関節内の細胞から液体が出て、動きが滑らかになるからだった。
私の両足首は余命二年といわれていて、心中穏やかではない。なのに私の左足は手術して八年、右足は三年たつのにまだバドミントンの現役選手を続けているから分からない。お医者さんは奇跡ですねといっている。
(*二〇〇九年七月一日記)

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2009年6月11日 (木)

オーストリアからのメール(19)

◆二〇〇九年(平成二十一年)四月十三日
オーストリアは夏時間が始まり復活祭休暇中、とても天気がよく暖かい日々が続いています。前回お伝えしたフォアアールベルグ州の新指導者のフェレナ・ファステンバウアーさんの話をしたいと思います。去年、州都ブレゲンツの高校で情報処理の先生の職を見つけ、フェルトキルヒ近郊に引っ越してきました。
私が彼女の存在を知った当時はザルツブルグからフォアアールベルグ州の青少年強化鍛錬を教える為、週に一、二回、片道4時間の道のりを車でやってきていたのを聞いていました。彼女は馬力があるんです、どこからこの精力がくるのかと思うこと多々。
ドリスがいつも彼女を褒めていましたが、本当に指導者として必要なものを全部かね揃えていると思います。減り張りがあり子どもたちからも若者たちからも慕われています。そして私も彼女の贔屓です。彼女を見ていると女性というより男性的な部分が多いような気も。芦原コーチは二回ここを訪れているのに一回も会えませんでしたよね。
レネが彼女の助手として頑張っています。彼に芦原コーチがオーストリア国際でレネの名前を見つけたと伝えたら、恥ずかしそうな顔をして早々と負けちゃった話を始めました。
フェレナはザルツブルグの東隣の州オーバエスタライヒ州で生まれ。十一歳のとき、なにかスポーツを始めようと見学に行った体育館でバドミントンを見て、それからバドキチ人生を始めました。十五歳で国家代表チームに入り、十六歳で欧州選手権に出場、一九九五年十八歳で女子単オーストリア優勝者となりました。
十九歳で故障に悩まされることとなり、その後一九九六、一九九七年三年連続オーストリア優勝者、故障との戦い後二〇〇二年に四回目の優勝者となりました。五輪予選時も故障をし、出場に満たす条件をそろえることができず、夢かなわずだったそうです。
気持はいつでもあるのに故障につきまとわれ、それでもバドミントンが好き。オーストリアバドミントン協会での現在の正式な位地は十五歳以下の国家指導者だそうです。いろんな州から指導者の声がかかったが、このフォアアールベルグを選んだ理由は強化指導者として連携していける環境が最高だと思ったそうで、これがうまくいかない所はどんなにいい選手がいても先に進めないといってました。
彼女は博士号の試験が間にあり、しばらくこの州を留守にしていました。確かスポーツ学の博士号だったような。頑張り屋のフェレナでした。
◆二〇〇九年(平成二十一年)四月二十日
もうすぐ台湾に行かれるのですね。がんばりつつ故障がありませんよう楽しまれてください。芦原コーチの世界シニア選手権の出場は日本バドミントン協会にかかっているのですね。欧州のみなが投げキッスしているといっておいてください。もしそれが実現しなかったらオーストラリアに行かれるんですね。Without kangaroo のオーストリアからでした。
◆二〇〇九年(平成二十一年)五月十三日
世界シニア大会の出場決定おめでとうございます。フェルトキルヒは十月四日から約三日の滞在ですね。宿泊はまたLoewenにされますか。そういえばいま台湾に行ってらっしゃるんですよね。体と豚インフルエンザには気をつけて楽しんでこられてください。みはる
(*二〇〇九年六月十一日記)

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2009年6月 4日 (木)

そして全額個人負担になった

モーニングカップ国際バドミントン大会(台湾)に出場するのに許可がいると聞いて、どう思うといわれてもそんなばかなことはないとしかいいようがない。
某県レディース連盟の話だが、出場するのに許可がいるというのだった。個人的なことなのに、許可が義務づけられていた。
すなわちなんたる戯けで、信じられなかった。モーニングカップの出場は自由なもの、許可なんていらないし、承認もいらない。だれにもそんな権限はない。
許可を言い出したのは連盟だった。言い出したのは自分の管理下におきたがるためで、支配したがるためである。
連盟は被っていて、重さを感じない帽子程度でいいのだった。したがって連盟の顔色ばかり見て、バドミントンが楽しめなくなった。連盟はあれもこれに口出しするようになった。ついにモーニングカップにまで口出しし出した。そんなことをすれば連盟の道徳は暴力団と同じになる。一歩退くことが望ましいのである。
お話し変わって、私はかねがね世界シニア・バドミントン選手権大会の費用が全額個人負担というのはおかしいといったから嫌な顔をされた。第四回大会(スペイン)は三十八万円である。ちょっとした金額になる。ゆえに、日本バドミントン協会(日バ)は大会派遣費用の負担を考えなくてはいけないといってきた。
トマス杯・ユーバー杯、スディルマンカップは全額日バ負担だった。世界選手権、アジア選手権、オープン大会、海外合宿は五万円を徴収して、交通費、宿泊費、航空運賃、海外旅行保険を負担するのである。それなのに世界シニアは一銭の補助もないのである。
それがそうなのは、世界シニアが想定外だったからで、それならいまから考えることである。世界シニアは世界バドミントン連盟(BWF)主催の大会だった。権威ある大会だという。各国も力を入れるようになった。今後ますます盛んになるだろう。世界選手権も世界ジュニアも世界シニアもないみな日本代表なのである。
(*二〇〇九年六月四日記)

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2009年5月28日 (木)

健身語録の三十(20)

■バドミントンは一台しか選べない大切な車。
■打ち方の三条件①自分にあった型②間合い③応用。
■テレビではない、プロの生のバドミントンを見ることが大事だ。
■指導に国境なし。
■自分の中に眠っているものを見付けろ。
■勝とうと思わなくてもいい、いつも勝てるようにやっていれば勝てる。
■試合で完璧を求めてはいけない、だいたいでいい。
■いい競技をしようと意気込むと一気に乱れる。
■バドミントンを好きになることは、心をちぎってあげること。だから、厳しい。
■バドミントンに台本はない。
■真剣さの足りない、必死さのないバドミントンは意味がない。
■限界を設定しているのはあなた。あなたは能力の二、三割しか使ってない。
■チームはみなが監督で主将。
■ちいさなことを積み重ねることがとんでもないことに繋がる。
■痛める貝にのみ真珠は宿る。
■試合は重圧の中でやるのが当たり前。
■バドミントンは人生の教科書。
■素振りは本気でふれ。
■バドミントンも人生もいいときもあれば悪いときもある、悪いときをどう乗り越えるかが大切。
■バドミントンは遊びだが、遊び以上のものだ。
■全力でやったことは伝説になる。
■情熱は川の流れに似たり/浅きはさらさらと音を立て/深きは黙して語らず。
■やっぱり一番は違う。二番、三番とは違う。
■強くなるときは毎日強くなる。
■出る杭になってどんどん打たれろ。勉強して、考えて、流されないで。
■選手のもっているなにかを引き出すのが指導者の才能。
■できないことをやるのが練習だ。
■試合はなんとかなるではなくてなんとかする。
■試合で頭が真っ白になる、力が出ない、夜眠れない。それで勝つのが実力だ。
■バドミントン人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とすこしのお金。
(*二〇〇九年五月二十八日記)

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2009年5月21日 (木)

サービスは私を弄ぶ

第三十八回モーニングカップ国際バドミントン大会(台湾)に出場して、私はすこし神経症になった。六十歳男子甲組単の決勝は世界NO1のChaisak Thongdejsri選手(タイ)からドライブ・サービスをぶっつけられたのである。九割がドライブ・サービス、一割がショート・サービスだった。
一発もスマッシュを打てないでいる。試合をした気になれずにいる。彼がドライブ・サービスでくることは分かっている。サービスが抜群に巧い。二年前の世界シニア選手権大会で一度対戦しているので知らないではない。それでいてやられる。
私はドライブ・サービスがきたらスマッシュにもっていこうと待ち受ける。それも束の間で、シャトルが肩の高さにくる。どんどんくる。たちまち処理に困る。打てないだろう。相手の思う壺である。
仕方なくロング・リターンで返すのである。すると切れ味の鋭いカットが飛んでくる。ドライブ・サービスを注意しているとショート・サービスがくるが、後ろへ伸ばせば強烈なカットとフェントの利いたクリアーがくる。それが分かっているので、ネットへヘアーピンで返すしかない。
すると今度は強烈なフェイントをかけて置き換えすから始末が悪い。絶対にあげない。私にじゅうぶんな体勢にならせないように、じつに頭がいい。ドライブ・サービスで崩して、先手を取ると、ラリーを続けないで終わらせるのである。
まるでバドミントンにならない。これが彼の戦法だった。世界にはいろいろな型のバドミントンがあった。これからはサービス一発で仕留めるテニスのようなバドミントンを考えなければならないのである。そう思うのはThongdejsri選手のせいである。
サービスの高さは新規則によって約九センチうえにあがったのである。旧規則ではラケット全体が手より下でなければならなかったから、サービスをする側が不利だったのである。いまはシャフトが下向きであればいいようになったように、今後ともサービスは私を弄ぶのである。
モーニングカップの十年連続優勝者にはベンツが贈られたが、みなは嘘だろうと信用しない。大会終了の翌日、送呈式が王朝大酒店の玄関で華々しく行われたが、知られること少ないから紹介した。
(*二〇〇九年五月二十一日記)

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2009年5月14日 (木)

都道府県バドミントン協会

みなが呆れているのに当事者が呆れないことが山ほどある。ことに都道府県バドミントン協会(協会)にある。いま多くの協会は機能不全に陥っていた。そうしてみれば何事だとみなは思うが協会は思わない。いままでなにもしてこなかったから、いまさらなにもできないのだろう。
なぜだろう。世界の趨勢にまったくついていけなくなっていたが、旧態依然としていた。このことに私は驚いている。
誤った固定観念に支配され、なにもしないとはどういうことだろう。だいいち規約が五十年以上も協会になかったなんてみなは夢にも思わなかった。
協会は自分の都合の悪いことなら努めていわないからこれもその一つなのだろう。いまの時代にホーム・ページ(HP)もなくやっている。あっても更新されないでいる。HPは情熱の目安といわれる、ここにはそれがない。
一貫指導とよくいうが、一貫してないのが一貫指導だろう。選手のプロ化、指導者のプロ化、組織のプロ化が必要だというが、協会はいわないのか。どうしたらいうのか。
協会の無策はいま始まったことではない。いちど解体した方が、いいのではないか。組織は人、金、物が大切といわれている。解体はすこし役立つだろう。
協会は組織が機能してないのを知りながら、それを歯牙にもかけなかった。由緒ある大会が中止になったり、怠慢が続いたりするのは、無責任ではないか、命を賭けてバドミントンの仕事をする人がいないとみなは思うが協会は思わない。もう一つ肝心のバドミントンを協会は本気でよりよくしようと思っているのか、これまたいわないから分からない。だれもなにもいうはずがないと知って安心しているのではないか。
この問題には古参幹部が絡んでいると見ている。彼らはほとんどが現状肯定で、いつまでも引退しないで、年に数回、あるいはまったく顔を見せない人物たちである。親しいがゆえに馴れ合いや遠慮が生じるのかもしれないが、退いてもだれも困りはしない。なのになぜか一言も触れない。大方の協会とはつねにかくのごとしという例の一つとしてあげた。
(*二〇〇九年五月十四日記)

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2009年5月 7日 (木)

ちいさくてもできる

小学一年生の保護者から質問を受けた。うちの子は体がちいさいですがバドミントンだいじょうぶでしょうかというのである。心配するのは保護者だけではない、みなそう思うのだ。確かに体はちいさいより大きい方がいいが、バドミントンがちいさくてもできることはあなたも承知のはず、と説明した。
バドミントンは背の高さが実力を決めるのではない。背の低い選手は多いのである。彼らはいい例だろう。なら、希望がもてるだろう。
バドミントンは身長はあまり関係なかった。ちいさな選手は俊敏性がある。おおきな選手にはそれがない。小回りが利かない。大きいからといってすべてに有利なわけではない。背が低いなら他の能力で補えばいいのである。小よく大を制するのである。
これは、日本バドミントンの極意である。要は自分に合ったバドミントンをする。ちいさな選手は体の均衡がよくて、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」。
頭の回転も速いし、上背がないというなら、それはそんなに心配することはない。それより頭の回転である。背が低くても、技術を磨けばいいといっているが、「そうは問屋が卸さぬ」。しばしば論争になる。だから、まずちいさいことを有効に活用するんだよといって聞かせ、ほら、おおきな選手より速く動けるだろう、それだよといったうえでのお話しである。
(*二〇〇九年五月七日記)

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2009年5月 2日 (土)

百獣の王ライオン

あるところにバドミントンの好きなライオンの親子が住んでいました。
一日の練習が終わりお風呂に入ることになりました。
お母さんライオンが子どもライオンにいいました。
お風呂に入ったらお湯の中で百回手首の運動をするんですよ。
子どもライオンははーいといってお風呂に入り、一、二、三、四、五、六、七、八…九十九、百と数えました。
そしてお母さんライオンにいいました。
お母さん百数えたよ。
お母さんライオンはいいました。
もう十よ。
これからライオンは猛獣、百十の王ライオンといわれるようになったということです。
ぱちぱち。
(*二〇〇九年五月二日記)

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2009年4月25日 (土)

おばか

私が長年の巨人贔屓をやめたのは、愛想が尽きたからである。いつかテレビを見ていたら、読売グループの会長がJリーグのチームに企業名を認めなければ解散だと言い放った。サッカーの地域密着は妄想だという、地域密着がJリーグを駄目にしているといっていたが、彼の妄想だった。
この話ならご存じだろう。彼はプロ野球界の実力者だと聞く。実力者にしてこの程度だ。このとき巨人はどうしたか、すぐ球団名を読売から東京にしたか、私の関心はここににあるが、そんなことはない。
巨人は読売グループの野球部だから、後のことは書かない。書くとそれは非常に恥ずかしいことになるからである。
Jリーグはチーム名を愛称+自治体にすると決めていた。海外ではなんでもないことだが、日本でば卓見である。だから、日本のプロ野球は世のつねのスポーツではない。
また日本プロ野球組織は社会人野球の投手が大リーグに挑戦する意向を表明したとき、遺憾の意を表明した。選手が大リーグに流出するのを恐れたのである。流出防止策まで講じた。帰国入団を制限するといっただろう。日本のプロ球団に入ることなしに海外のプロに行った大学・社会人出身選手は、二年、高校出身選手は三年新人選手選択会議の対象にしないという。そういって恥じないでいる。
お話し変わって、フットサルの中学生の大会でコーチの教頭さんがわざと負けろと命じて問題になっている。勝てば苦手にしている学校とつぎに当たってしまうといっている。選手たちは指示に従い大敗したという。この教頭さんは日本サッカー協会より一年間の活動停止処分を受けている。某市の中学校のバドミントン大会でも同様のことが起こっている。
その全国中学校バドミントン大会は、八月に行われていて、ほとんどの三年生を六、七月で引退に追いやった。おばかである。ここには翌年の三月までさせる考えがない。むしろそれを恐れている。
私がこのことをいうのは、この時期がいちばんの伸び盛りという点にある、ここで世界とおおきな差がつくからである。ただし、この時期に引退させているから野暮じゃないか、冬に大会をやればいいと私は思ったのである。
(*二〇〇九年四月二十五日記)

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2009年4月18日 (土)

笑いごとでなくなる

中国に大衆スポーツがないことはよく知られている。五輪で金メダルを量産して、街にはボクシング・ジムも柔道場もない。それに引き替えわが国は素晴らしいというがそうだろうか。
欧州型のスポーツクラブ組織もほとんど育ってない。学校や企業の運動部はあったが、これでは中国と同じだった。中国では大量の金メダルがなんの役に立つのかといわれているだろう。
なのに日本は中国より遙かにうえだと自慢していられるのは、私たちがドイツでも、英国でもないからである。ないから枕を高くしていられるのである。
中国は人々が規則さえ知らない種目で金メダルを量産している。このおかしさだった。中国は五輪大国だろう。
これによってなにが分かるか、中国は五輪大国だが、スポーツ大国ではない。選手は大衆スポーツのうえにできたピラミッドの頂点であるべきだろう。それがない。
中国のスポーツは国威発揚である。日本が学校威発揚や企業威発揚なら、中国と同じである。日本のスポーツ関係者は、中国には大衆スポーツがないと笑うが、けして笑えなかった。スポーツ立国づくりが講じられなければならないのに、日本はそれを怠った。
ところで、日本のバドミントンは強くないのである。毎年ジャパン・オープン・バドミントン選手権大会が東京で開催されて、まったく優勝できないのである。賞金は外国人に取られている。これを東京現象といったら、非難されることは察しがつく。けれども勝てないのはそんなに恥ずかしいことだろうか。
こんなことをいうのはそんなに金メダルに拘らなくてもいいと思うからである。いま中国は国費で英才教育をしている。共産党、社会主義、改革開放、偉大な祖国は素晴らしいと宣伝をしている。私たちは平気である。
私はバドミントンを人生の一部としてやっている。まったく私のものである。人生はかけない。かけないのはかけなくてもいいためかと思われる。五輪選手が広い裾野からときどき出てくるようになったら、さらにそれが普通になったら、勝っても負けてもいいだろう。金メダルばかりが能じゃないだろう。
(*二〇〇九年四月十八日記)

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