2012年1月30日 (月)

健身語録の三十(28)

■シャトルを打つ前に先の先の先の先を考えろ。
■指導は五十%、五十%は自分で考えて。
■選手は自分なりの哲学をもて。
■貪欲であり続けろ、愚かであり続けろ。
■創造と破壊の精神を失わず、既存の概念に挑戦しろ。
■単調なことを継続できる選手こそ、超一流の資格がある。
■がんばっても成功は保証されないが、一歩前に出れば前進は保証されている。
■やってみろ、大事なことはするかしないか。
■思いっ切り自分を投げ出すことができれば、それが仕合わせである。
■夢はいくつあってもいい。
■気合いだ、わっはっは。気合いだけでは息がつまる、最後は大声で笑いを。
■バドミントンに向かない、やめると決心するのも才能だ。
■バドミントンはだれのいうことも信じてはいけない。自分で必死になって考えて、自分の意志で戦え。
■練習は特別なことをするわけではない。しなければならないことを全部する。
■怪我を好機に変える。
■谷がないと山がない。
■弱い自分と戦う。自分を変えられるのは自分だけ。
■心に老いや萎えがなければ行ける。
■選手の声は財産だ。
■バドミントンは基本に忠実がいちばんの早道。
■遅咲きはすんなりいくより面白い。
■失敗する、試合中はすぐそれを忘れろ。
■困難は成長の好機。
■最善を尽くして、それで負けたら仕方がない。
■すべてのバドミントンは真似から始まる。ただ真似で満足してはいけない。
■指導の心得は①心②心③心。
■はじめからできないと考えるのはばかだ。最初から妥協するのは屑だ。
■美は山頂にあり。何事もいちばんうえを目指さないと途中までもいけない。
■力が人の半分だったら半分でできることを考えろ。諦めることはない。
■徹底した自己管理が驚異を生む。
(*二〇一二年一月三十日記)

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2012年1月23日 (月)

北朝鮮のバドミントン 

サッカーの日本代表はこれ以上はない敵地の雰囲気に飲み込まれた。十一月十五日、平壌でワールド・カップ(W杯)ブラジル大会三次予選に臨んだ。約五万人の大観衆に後押しされた北朝鮮代表に0対1で敗れた。試合前の国歌吹奏さえ不満の声にかき消されたのだった。日本代表は空港で4時間も足止めされている。あれだけ難しい環境でやれたのが収穫だった。
取材も十人しか認められなかった。会場へは横断幕も持ち込めなかった。
北朝鮮側は太鼓、国旗を使って応援をしている。
キム・イルソンさんを称える歌まで出たのである。人文字まで出た。
お話変わって、地区のバドミントン・クラブへ行ったときのことだ。知人から北朝鮮にはいつから行かれるのですかと聞かれた。本人が知らないところが面白かった。バドミントン協会ではあなたが北朝鮮に指導に行くことになったといっていますよといわれた。
そんな話は初耳だ。流言蜚語だろう。そういって笑ったのである。それでも知人は正式に話がきたらどうされますかと聞いてくる。
そのときはそのときではないのか。そういうことはまずない。この知人、さらに北朝鮮にバドミントンをしている人はいるのですかと聞いてくる。それはいるのである。北朝鮮の選手がジャパン・オープン・バドミントン選手権大会に出場したこともあるのである。
もっとも北朝鮮は用具がないなど問題は多い。選手は軍人のような組織のものばかりである。北朝鮮はキム・ジョンウンさんが一言やれといえば強くなるはずである。
(*二〇一二年一月二十三日記)

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2012年1月16日 (月)

私たちは寛容過ぎる 

大学女子柔道部のコーチを務めていた客員教授が準強姦容疑で逮捕された。彼は柔道五輪の金受賞者である。これは氷山の一角かな。私は苦笑いした。
彼は教え子の未成年者に酒を飲ませて暴行したという。商売物に手を出すというのは商人がやってはならないことである。本人は合意だったといっている。納得できないといっていた。
本人がいうのは変である。被害者は被害届を出しているではないか。いやいやこれはほかでもあるに違いないと気がついた。
スポーツ界では女子選手の約三割がなんらかのセク・ハラを体験しているという。
私はこの問題の解決がいかに難しいかを改めて知った。泣き寝入りが多かった。
対策は放置されたままだった。多くの選手が競技をやめてしまうと聞いた。これでは正々堂々と勝負に臨むという精神もないのである。
多くの競技団体には倫理指針がないという。
日本五輪委員会にもなかった。セク・ハラはおおきな弊害になると見ている。被害者救済の仕組みも整っていない。教員の児童生徒に対するセク・ハラ行為は十年前の五倍だという。実際はこの何倍あるのだろうか。
(*二〇一二年一月十六日記)

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2012年1月 9日 (月)

黙れではなかろうか 

日本のバドミントン選手が海外でいろいろいわれることがある。試合が終わると選手はかならず監督、コーチのところへ行っている。あれはやめた方がいいなと思った。
あれは外国人には、凄く評判が悪いのである。なんだか悪いことをした子どもがしかられているように見えるのである。ああいったたぐいは外国にはなかった。助言のお仕着せはよくなかった。健康な選手は自分で考えるのである。
また日本選手は平気でコートの中で耳障りなかけ声や叫び声を発していた。あれは顰蹙を買っているのである。バドミントンは不品行な振る舞いは禁止されている。それが無礼なことをしている
警告を受けた選手もいる。ふたたび違反をすればフォルトになる。さらに違反をすれば失格になるのである。ある欧州の国際チャレンジ大会のときのことである。
日本選手がかけ声や叫び声を発していたのである。観覧席からあいつらは飯を食うときもわあわあいうのだろうという話し声がしたのである。実際この何倍あるか分からない。声は出せばいいというものではない。
日本では声を出さないとしかられる。みな違反だということに気がつかない。外国では声を出すとしかられます。
私なら黙れというところである。
(*二〇一二年一月九日記)

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2012年1月 2日 (月)

私もしてみたい 

国民栄誉賞や叙勲を辞退した人がいた。賞はいろいろな分野で活躍が認められた人に贈られるのである。それを辞退する。
ある人は職人に栄誉は不要といっている。自分には栄誉より素晴らしいものがある。したがって、地位も名誉も富も名声もいらないといっている。こういう人にとって賞は二束三文にしかならない。
なかには、自分を表彰しろというものがいるのです。恥ずかしいことでした。あれは催促するものではありません。みながくれるものです。もっともあれは受賞後に死亡率が高くなると聞いています。
お話変わって、中国の東莞市で十一月、男子単四人によるバドミントンの勝ち抜き戦が行われた。リン・ダンさん、リー・チョンウェイさん、ピーター・ゲードさん、タウフィック・ヒダヤットさんが出場している。
優勝賞金は千二百万円、二位は七百二十万円、三位は二百四十万円である。企画は中国代表コーチのリ・ヨンボさんがしている。私もBIGが当たったら女子の四強を集めてやりたいと思っている。
優勝賞金は一億円、二位は五千万円、三位は二千五百万円にする。正月だから初夢だということが分かる。
(*二〇一二年一月二日記)

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2011年12月26日 (月)

死ぬまでの暇潰しである

私はよくどうしてそんなにバドミントンにのめり込むのかと聞かれた。死ぬまでの暇潰しですよといったら驚いて、なに、という。そんなことはじめて聞いた。といかにも不審げである。
バドミントンとはただラケットをもってシャトルを打つばかり。それ以上の話なんぞありはしない。いまにして思えばそうだった。
べつに意味はないんだよ。そうなので笑った。世界一を目指すのもいいんだよ。金儲けをするのもいいだろう。出世するのもいいんだよ。時間はある。有り余るほどある。なにもしないよりは悪いことでもした方がまだ増しだ。私の場合はたまたまバドミントンなんだね。人類はあと二百万年で絶滅するが、そう思えばバドミントンも楽しいといったら、呆れて去った。私はバドミントンは死ぬまでの暇潰し以上の言葉を知らないのだよ。
それにしてもみなさん、私のコラムを読まれるのはいいが、あんまり読むと無気力な人間になってしまうから気をつけましょう。
(*二〇一一年十二月二十六日記)

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2011年12月19日 (月)

優勝したのに 

人はなにより焼き餅焼きだということを認めなければならない。むろん私もそうである。だから、私は競争相手が優勝しても嬉しくない。そう思ってはや数十年になる。
友達が優勝したことなら風の便りで知れる。これはおめでとうといわなければならない。それ以外にない。それを中傷するものがいると知った。度が過ぎるのは我も彼も同じである。
自分が負けると昨晩、眠れなかったからだというのである。睡眠不足のせいにした。それなら眠れるようにする。そうに決まっている。彼は優勝者にあれだけ練習すれば勝つに決まっているじゃないかといっている。相手が弱かったからだろうといったそうだ。
まったくの暴言である。おめでとうといえばいいのである。それなのにそれがいえないのはひとえに嫉妬があるからである。
優勝者は多大な努力を払っている。それなのに公平ではない。なにより男らしくない。
これらの言葉は手垢に塗れている。友達はなんだか優勝したのが悪いみたいですねというのである。私はバドミントンをする男は四十を超えたら自分の顔に責任をもてという。男の顔は履歴書という。そういわれながら、なお人は中傷が大好きなのである。
中傷するのは、あれは自分を束の間の正義漢にするためである。だから、永久にやめはしない。自分が負けたばかりに優勝者を非難するのが正義か、さすがに酷いとなった。
(*二〇一一年十二月十九日記)

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2011年12月 5日 (月)

フット・ワークに気をつけよ 

学生たちのフット・ワークが酷い。もともと彼らは無関心である。年々お留守になるばかりである。私はネット前に踏み込んだときの前足の膝の角度は最大90度といっている。
できるだけ後ろ足を引きずらないようにする。前足で床を蹴って素早くホーム・ポジションに戻らなければならない。私はずっとそういってきている。
私は昔からドロップを返すときはホーム・ポジションまで下がれといっているがだれも耳を貸さない。聞くものなし。
ショート・サービス・ラインの中に突っ立っていた。理解不能である。
ツー・ステップがなぜできないのか。だれか一口で説明してくれ。
学生たちはネット前に飛び込んだとき二歩でホーム・ポジィションに戻れなかった。左足(右利きの場合)を引きずった。これでは戻れなかった。右後方を攻められてクリアーで逃れるときも中央寄りに左足を残せなかった。放ってはおかれぬ。
そんな初歩的なことがなぜできないのか。
以上、語って1分とかからなかった。このままではおかれぬ。
なのにだれもこのことはいわぬ。リー・チョンウェイさん(マレーシア)のフット・ワークを見てもらいたい。とくに左足の動きを見てもらいたい。
(*二〇一一年十二月五日記)

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2011年11月27日 (日)

当たり前バドミントン

さあみんな当たり前バドミントンの時間だよ。
当たり前当たり前、当たり前バドミントン。
ラケットでシャトルを叩くと羽は飛ぶ、当たり前バドミントン。
ガットを張らないとシャトルは打てない、当たり前バドミントン。
裸足でやると足の皮が擦り剥ける、痛い。
当たり前当たり前、当たり前バドミントン。
ラケットはハンドルを握る、当たり前バドミントン。
サービスをしないと試合は始まらない、当たり前バドミントン。
コートの外に打てばアウト、内側に打てばイン。
当たり前当たり前、当たり前バドミントン。
単は一人でする、当たり前バドミントン。
複は二人でする、当たり前バドミントン。
フットワークは右足を出して左足を出すと前に行ける、両足を出さないと転ける。
当たり前当たり前、当たり前バドミントン。
(*二〇一一年十一月二十七日記)
COWCOWのあたりまえ体操参照

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2011年11月14日 (月)

健身です(その三十)

●健身です。おいしいものは別腹、バドミントンは芦原という癖があります。
●健身です。悪いことはしてないのにパト・カーが気になります。
●健身です。うえを向いて歩こうといったってうえにはなにもありません。下を向いて歩いたらお金ぐらい落ちとるとです。
●健身です。人間は誕生日後に死亡率が高くなるといわれても、どうすればいいんですか。
●健身です。ワン・バックなら一人で守備をしてください。(米国女子サッカー)
●健身です。五輪書を読んでいたらオリンピックの本ですかと聞かれました。(宮本武蔵)
●健身です。パソコンのお気に入りバーを見ると友恵、西河と呟いてしまいます。
●健身です。女が好きな一休さん。一休すればよかったのに。
●健身です。昨日は一日中、河童はどこに住んでいるだろうかと考えていました。
●健身です。墓はお参り/ばかはおまえだ。
●健身です。理想の女などいるはずはありません。煩わしい結婚を選ぶか、喧嘩の種のない独身を選ぶかです。
●健身です。リー・チョンウェイさんを一方的に競争相手だと思っているとです。
●健身です。アイガーは愛があれば登れるんじゃないかと思います。
●健身です。運動服の中から屁ふり虫が出てきたとです。
●健身です。友達はでぶなのにスマート・フォンを使っています。
●健身です。入国カードのSex欄に週二回と書く人がいます。
●健身です。モーツアルトさん、石川啄木さんと早世した人はみな偉人でした。私、いまさら早世できんとです。
●健身です。最近はいったことを忘れ、いおうとしたも忘れ、忘れたことも忘れてしまうとです。
(*二〇一一年十一月十四日記)

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