西螺の休日
西螺(シールオ)に行った。モーニングカップ国際バドミントン大会(台北体育館・二〇〇八年三月二十一~二十三日))の終わった翌日だからちょっと辛い。全國中等學校運動會羽球資格賽が開催されると聞いたからである。場所は雲林縣立西螺國民中學羽球館(國民中學)、雲林縣立羽球館(羽球館)である。白宜潔さんの競技を見る目的があった。彼女はモーニングカップで日本人の世話役をしてくれる謝恵麗さんの娘さん。
長身の十七歳である。台湾の星、基本練習は昨年見たのである。今回は試合を見てみたいな。といっても西螺はどこ。台北の二百二十キロ南といわれても見当がつかないし。
台中の南の彰化のもっと南と聞いても分からない。ちょっと心配になる。それなら行ってみるまで。教えてもらった路程は①王朝大酒店~台北駅②國光客運巴士西站~西螺③西螺站~羽球館。早朝、台北から高雄行きの国光号に乗ったのである。約3時間のバスの旅だった。バスの中は中国語の世界だった。西螺站からは羽球館へ行くという高校生と一緒になったのである。これがすこしも英語が通じなかった。羽球館の前に行ったら知人の呉文達さんの銅像があったのである。本部席に行って謝さんを尋ねたら國民中學の方だった。事務所で道を尋ねていたら白さんが駆けつけてきた。一年ぶりの再会を喜んだ。
國民中學へは、事務所の若いあんちゃんがオートバイに乗せてくれるという。街を、ヘルメットもつけないで疾走した。これが映画なら「西螺の休日」。それがどうしたとみないうだろうが、「ローマの休日」を知らない映画好きはいまい。
國民中学に行ったら顔見知りの男性がわあこんなところまできたのかという。試合を見ていたら林瞳露さんが審判をしていたが、林さんはモーニングカップで混合複のペアを組んだ温秋琴さんの娘さんだから、世間は狭いことを実感する。
役員席に行ったら大歓迎で、精進弁当、枇杷、お菓子、珈琲とつぎつぎと出てきて温かい。みなよくここまでこられましたねといってびっくりしていた。言葉も分からないのにといって、感心されたのは無謀ということか。謝さんに、よかったらもう一週間ほど残っていかれませんかと勧められる。
それはいい考え。けれどもそうもいかないのである。帰りは西螺站まで古い街並みを眺めながら歩くことにする。肝心の全國中等學校運動會羽球資格賽は、日本の高校生、中学生と同水準といったところか。西螺は醤油の産地である。20分ほど歩いたら西螺站に着いたのです。
西螺站からは高鉄(新幹線)の鳥日駅までバスが出ているらしい。そう聞いていたら、そんな駅もバスもなかったのである。
それなら、きたときの逆に帰ればいいのである。台北行きのバスに乗りたいといったら窓口のおばさんが困った顔をしているだろう、どうも乗れないといっているようなので押し問答をするうち、みななんだなんだといって集まってきた。
英語の話せる小姐(お嬢さん)の説明によれば今日のバスはすべて満席らしい。これはまずい。どうしても台北まで帰らなければならないから、懸命に訴えたのである。そうしたら本社に連絡を取って席を空けてくれたから、ありがたいだろう。
出発まで1時間半あったので中山路をぶらぶらしていたら空きが出たので一つ前のバスに乗れという。ところが今度は購入した切符がないだろう。また一騒ぎである。再度切符を購入して、乗ったのはいいが、よく騒ぐ日本人ですぞ。
出てきた切符は台北西站の窓口で払い戻しをしてくれると聞いていたが、これまた言葉が通じなかった。運転手さんがきてくれて、説明してくれたので三百二十元が戻ってきた。運転手さんに、私は何度も謝謝(ありがとう)といって固く手を握った。見かねて協力してくれた見知らぬおじさんにもだ。
それにしても声が大きいというのは、得である。みなすぐ集まってきて、なんだなんだといって、助けてくれるのだった。
けれどもこんなの自慢にならないのである。その後台北駅の地下から南京東路までMRT(台北大衆捷運系統)に乗ろうとしたら、単程標(片道切符)がカード式からコイン式に変わっていた。
私はこれは切符なのかとまた地元の人に尋ねる。台湾に親切な人多し、だれかうまい文章で書いてくれないか。書けばみな台湾が好きになるだろう。
(*二〇〇八年五月十四日記)

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