2018年8月13日 (月)

古い体質

 世間が怪しんでいるのに当人が怪しまないことが山ほどある。ことにスポーツ界にある。日本大学アメリカン・フットボール部の選手による危険タックルは監督が指示していた。そうしてみれば何事だと世間は思うが大学は思わない。いまさら統治能力が欠如していたといいたくないのだろう。
 日本ボクシング連盟が国からの助成金を不正流用したのはなぜだろう。会長は終身と聞いた。噂というものが根も葉もないものでないことに私は驚いている。
 この問題には古い体質が絡んでいるとみている。改善をいえば連盟から外されるのである。こうなると改善は進まない。ほかの競技団体も似たり寄ったりのはずなのになぜか一言も触れない。スポーツ界とはつねにかくのごとしという例の一つとしてあげた。
(*二〇一八年八月十三日記)

2018年8月 6日 (月)

学校対抗は本当に必要か

 全国高等学校総合体育大会、全国中学校体育大会は学校対抗だと、夥しい因習からわが日本人はざっとこんな風に思っている。けれども事実はそれとまったく違うこともある。学校対抗は、世界にはほとんどないものでした。おおきな違和感をもちました。
 そう思わされるものとはなんなのかでした。学校対抗は間違った常識になった。
 スポーツが個人またはクラブ間の競争ということならご存じだろう。学校対抗は、本当に必要かになった。ただし、それは海外のことで、日本ではそのたぐいは欠片もなかった。
 以上、いま学校対抗はいいか悪いかである。恐縮ながら正しいか正しくないかになる。
(*二〇一八年八月六日記)

2018年7月30日 (月)

常識はもうない

 バドミントンの常識がないことは知っていた。これしかない。その考え方は間違っているだろう。どんな選択技でもうまくいけばよかった。たとえばラケットの握り方である。
 昔はウエスタン・グリップの人をよく見た。それでシャトルがうまく操れるならそれでいいのである。
 常識は凡人のものである。前例がないからやる。常識を覆すのである。お静かに常識様である。バドミントンはこうでなければならないというものはないのである。自由な発想をもつのである。
(*二〇一八年七月三十日記)

2018年7月23日 (月)

バドミントンは永遠に基本練習である

 基本練習を制するものはバドミントンを制するのである。バドミントンは永遠に基本練習であるから念のために書く。基本練習というものはほんらいシャトルを制御する訓練なのである。試合は基本練習の集積になる。ついでに準備八割、実戦二割。世界水準とは正確さだという。あなたを幸せにするのも不幸にするのも基本練習になる。
 繰り返しを繰り返す基本練習である。基本練習は自分のための研修である。基本練習をすればするほど成功に近づくのである。もっとも重要なのはコート外の練習になった。
 だから、バドミントンは永遠に基本練習なのである。
(*二〇一八年七月二十三日記)

2018年7月16日 (月)

予見のバドミントン

 バドミントンは相手からどんな球がくるか分からなければよい球を打つことはできなかった。初心者と熟練者ではこの予見力に差があるのである。熟練者は相手がラケットを振る瞬間にその打球の方向、角度、速さなどを感じ取ることができた。側から見ているとシャトルの方からその選手の方に吸い寄せられていくようにさえ思えるだろう。
 相手はどこに打っても待ち受けられているように見えるのである。壁に向かって打っている気になる。バドミントンは読みだが、熟練者は読める。初心者は読めないのである。
 なおバドミントンは負けるより勝つ方が何十倍も苦しい。人を騙すからである。私は性格がいいから強くなれなかったといって弁明を試みた。
(*二〇一八年七月十六日記)

2018年7月 9日 (月)

勝ち飯は「孫にわ優しい」といった

Img_2056 バドミントンには勝ち飯があるのだ。
 「孫にわ優しい」選手の食事でした。「ま」は豆、「ご」は胡麻、「に」は肉、「わ」は若布(海藻)、「や」は野菜、「さ」は魚、「し」は椎茸(茸類)、「い」は芋になった。
 食事は信号を食べた。(緑、赤、黄)食事は頭で摂りたい。一日三食の食事で主食、汁物、主菜、副菜、牛乳・乳製品を揃えて摂るのだ。
 とくに豆は大豆になる。大豆は畑の肉と分かる。間食も大事。
 それはお腹がすくと集中力がなくなることによって分かるのである。食事も練習だが、夕方の間食は晩御飯の一部をもってくることで、たんに量を増やせば太るのである。
(*二〇一八年七月九日記)

2018年7月 2日 (月)

「独自規則」の独自を取れ

 日本バドミントン協会(日バ)は、このほどジャパン・オープン・バドミントン選手権大会(スーパー750)の出場資格を全日本バドミントン・チームA代表からA代表とB代表にした。これにより世界順位の上位にいながら日本の独自規則により出場不可だったB代表の選手が出場できるようになった。韓国にも同様のものがあった。一年前から裁判になっていたのである。それが判決により出場する権利が認められたのである。
 なにしろ日本にはA代表でなければスーパー1000やスーパー750に出場することはできないという独自規則が存在した。A代表を保護するためのものだが案に相違した。
 世界が驚く日本の独自規則になる。
(*二〇一八年七月二日記)

2018年6月25日 (月)

バドミントンは爆発だ

 バドミントン選手はとつぜん強くなると私はかつて書いた。それはなぜか。みなの疑問である。練習は大事でした。それは変わらない。そうとはいえ。
 「うだつが上がらぬ」選手がいる。それが一年たつと凄い。だれも勝てなくなる。若い選手に多い。大化けする。努力しない選手にはそれがない。
 これは火山の爆発と同じではないか。岩漿が溜まるといってもいい。この爆発するまでの間が苦しい。
 バドミントンはとつぜん強くなった。だから、面白い。朝起きたら、強くなっているのである。
 バドミントンは爆発である。宇宙に向かって精神が命がぱあっと開花する。
(*二〇一八年六月二十五日記)

2018年6月18日 (月)

えっ、女子複はないの? 

 速さと力強さのないバドミントンの試合を観客は望まない傾向がある。むろん私は速さと力強さのある試合を望む傾向がある。マレーシアやインドのプロ・バドミントン・リーグには女子複がなかった。
 観客は女子複は面白くない。見る気がしないといっている。たとえば速さ、力強さがないのである。失礼なと怒り給うな。あれでは観客を呼べないといわれた。ちなみに、いまの男子のバドミントンは十年後の女子のバドミントンだ。
 女子は男子に迫る。男子との練習は絶対必要だ。
 女子は女子とするだけではつくり出せない速さと力強さを体に叩き込むのである。
(*二〇一八年六月十八日記)

2018年6月11日 (月)

少な過ぎはしないか壁打ち

 壁打ちは天才を天才化する。テニスの言葉である。
 これはバドミントンにもあてはまるな。たいてい初心者は当てて押すような打ち方をする。これではシャトルは壁から跳ね返らなくなる。跳ね返った時間は少ない。
 壁打ちはちいさな後方に引く動作でする。このため鞭のようにしなやかに打つ必要がある。手首を柔軟にした。
 オーバー・ヘッドで疲れたらアンダー・ハンドで打とう。フォア・ハンドで疲れたらバックハンドで打とう。壁打ちの利点は一人でできることである。手首の使い方がしぜんに覚えられるのである。習うより慣れてもらいたい。有力な秘密練習法になる。
(*二〇一八年六月十一日記)

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