わが素振り信仰
私は若い選手たちに素振りをしつこくさせている。
何百回もさせてみなを驚かした。私も人並みにみなが素振りが嫌いなのを知っている。それが喜ばれないことを知っている。
選手たちが喜ばないことを好まないものは、させないことが私にはぼんやり分かっていた。なのに私は素振りを信仰している。
私は苦しい練習を面白いと感じさせるのが本当の指導者だと思うに至った。みなは最初からやろうとしないのである。それにもかかわらず素振りは上達への近道である。私は振りの悪さを切り抜けるのに素振りをさせることを思いついた。そして徹底することにしたのである。私いわく。素振りを制するものはバドミントンを制する。練習の原点。振り出しに戻る。これこれしかじか。
力一杯の振りは素振りでないと身につかない。文字どおりシャトルを打つのと同じように全力で振るのである。いまは振るより打つが主流になっている。みなは私が素振りをやらせるのを冷ややかに見るだけである。私の素振り信仰の念はいまも生き続けてなお去らないのである、云々。
(*二〇一二年五月二十一日記)


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