2018年2月19日 (月)

当たり前バドミントンの話またする

 バドミントンは遺伝六割、環境四割になる。遺伝はどうにもならないことが分かる。環境は努力でなんとかなった。
 毎日走ろう。筋力鍛錬は一日おきにする。その前に早寝、早起き、朝ご飯である。
 練習後の食事は30分以内に摂る。当たり前のことを当たり前にする。自己管理ができないものはみずから潰れるしかない。並や並以下にはその自覚がない。といっても承知しない。遺伝の有無は承知させることはできないが、基本的なABCはできる。だから、当(A)たり前のことを、ぼ(B)んやりしないで、ち(C)ゃんとやれというのである。
(*二〇一八年二月十九日記)

2018年2月12日 (月)

ピョンチャン五輪始まる

 二月九日、私は仕事部屋にいた。テレビを見るとはなしに見て、ピョンヤン、いや、ピョンチャン冬季五輪が開幕したと大きく出ているのに注目した。わが国なら毎回ばか騒ぎするところである。
 昔もいまと同じだった。スポーツは遊びである。だから、報じてもその大きさは小さくすることに私は賛成だった。私はあのばか騒ぎが恥ずかしいのである。こんなものを大きく出していいわけがないのである。
 テレビがいま失いかけているのはなんでも報道しないことだった。テレビは誇張の見本だ。スポーツは結果報告でじゅうぶんだということが分かる。
 テレビを滅ぼすものはテレビだという。まことに五輪を滅ぼすものは五輪である。スポーツへの政治の介入をなくすには政治の介入が必要である。
(*二〇一八年二月十二日記)

2018年2月 5日 (月)

可愛い子には旅をさせよ

 いまバドミントンの大会ではコーチ席が設けられている。コーチはコートの後ろで、さかんに助言を送っている。それは長年の願いで、そうなったという。じつは休憩中はおろか試合中でもだが、シャトルが動いていないときは助言OKなのだという。まさかと思っている。これはいずれ問題になろう。
 いまはいつでも助言ができるようになった。けれどもその分よくなったか、とんでもないいよいよ忙しくコーチの顔を見るようになっただけである。
 選手は試合中は孤独で、それでいいと信じて疑わない。なのに試合中も助言ができたらさぞよかろうと励んでいる。ためにならないことを、いましながら目が覚めないのである。コーチは観覧席にあがるのである。古人はつとに「可愛い子には旅をさせよ」といった。
(*二〇一八年二月五日記)

2018年1月23日 (火)

単複の時代終わる

 大学生や高校生のバドミントン大会に混合複がないのを不思議に思っている。しないのにしない理由はだれも分からないという。これは一都道府県だけではない。日本のバドミントンすこし時代遅れのような気がする。いまでもするのは単複である。むろん混合複はしないのである。
 混合複が大会種目になければ練習をするものはない。したがって、バドミントンは三種目だから単複の時代は終わったのである。地区学生バドミントン連盟の役員をしている大学生にも聞いてみた。混合複は想定外ですと答える。混合複はしないというがそのする日は迫っている。これで完全に三種目になるのである。
(*二〇一八年一月二十二日記)

2018年1月 8日 (月)

審判員資格を取れといえなくなった

Img_1966 日本バドミントン協会が選手は公認審判員資格を取れといったのはなぜだろうと思い出した。審判員資格を取れば大会に出場できた。そうしてみればおかしな話なのだ。
 これからは審判員資格を取れといえなくなる。審判は人工知能化されることになった。それは十年以内。
 審判は機械化された。審判員は消える仕事になった。いまのところ自動機械や電子計算機は創造的な仕事をする指導者には向いていないのである。今後は人間と人工知能の共存になった。
 選手は審判員資格を取れといえなくなったのは人工知能化が当たり前になったからである。そうなるとは思いもよらなかったのに、それがいま経験しているようなのである。
(*二〇一八年一月八日記)

2018年1月 1日 (月)

模倣バドミントン心訓

Cid_part1_0833290a_59be4d84versellバドミントンでいちばん楽しく立派なことは、一生涯を通じてラケットを振り続けることです。
バドミントンでいちばん惨めなことは、バドミントン人として夢のないことです。
バドミントンでいちばん寂しいことは、バドミントンができないことです。
バドミントンでいちばん醜いことは、他人の成功を羨むことです。
バドミントンでいちばん尊いことは、バドミントン発展のために奉仕して恩に着せないことです。
バドミントンでいちばん美しいことは、バドミントンに愛情をもつことです。
バドミントンでいちばん悲しいことは、正義をいうことです。
(*二〇一八年一月一日記)台北にて

2017年12月18日 (月)

同じ穴の狢

 かつて競技団体の内紛について書いたとき、役員間の感情の対立にちょっと触れた。反主流派はなんのお零れにも与れない。主流派がおいしいところを独占したのである。だから、反主流派は反乱を起こして、主流派を退陣させたのである。
 ところが五年もたたないうちに腐敗すること前のごとくだった。人はお金ほど好きなものはない。正義はもっと好きである。
 すなわちしばしば嫉妬を正義と言い張った。賢人の統治はプラトンさんの昔からいわれているのにぜんぜん実現してはいないのである。人間の組織というものはすべて腐敗する。腐敗はつねに正義に倒された。
 その正義はすぐ腐敗しつぎの正義に倒される。こうして組織は健全さを保つと孔子様はおっしゃった。
(*二〇一七年十二月十八日記)

2017年12月11日 (月)

「指導者の疑問」同回答

 日本人の長所は機敏性になった。これはバドミントン向きだ。それを武器にするといえば分かる人にはすぐ分かる。動きの速さとは相手より速く走ることだけを意味しなかった。
 予見といいたい。試合は負けることもあるのである。負けるにしても自分の競技をやり切る。そうでないのではおおきな違いがあるだろう。
 選手はなにかをなし遂げられるという自信がいった。勝てるという自信である。これだけで分かる人には分かる。そうでなければ選手はできなかった。
 選手は厳しい状況に追い込まれるほど問題を解決しようとするのだ。
 発想が豊かになるのだ。
 悪条件下では精神の体力がとても重要になった。選手が危険を冒して失敗したら褒めるのだ。
 そのかわり同じ失敗は繰り返すなといおう。そうすると選手は成長した。バドミントンは我慢のスポーツという。
 我慢できる選手だけが強くなるのではないか。監督は刷子のようなものになった。つねに埃を払った。つねになにがうまくいかないか探すのである。すべて選手たちだけでできるにしても監督は支援することによって幸運をもたらすことができるのだった。
(*二〇一七年十二月十一日記)

2017年12月 4日 (月)

桜型から梅型まで

P3210432 どんな練習でも強制では限界があった。
 選手が自主的に考えないと駄目なのである。ただ大人でも自由を与えられてなにかできる選手となにもできなくなる選手がいる。バドミントンには桜型と梅型の選手がいる、桜型にはいちいち注文をつけない。選手に任せよう。
 梅型にはびしびし注文をつける。そうしないとなかなか開花しなくなる。昔から「桜切るばか梅切らぬばか」といわれている。
(*二〇一七年十二月四日記)

2017年11月27日 (月)

改討・健身語録の三十(9)

■バドミントンの神は頭に宿り給う。
■見逃し三振より空ふり三振。
■バドミントンに懸ける人がすべてを変える。
■一人の力は大きい。たった一人というのが偉いんだ。
■自分にしかできないことをやれ。
■試合は選手先制。
■故障は選手の夏休み。
■impossibleはI`m possible。
■平凡は妙手に勝る。
■やらずに後悔するならやって後悔しろ。
■生きている限り努力しろ。
■納得できるまでとことんやってみろ。そうすれば答えが出る。
■優勝の想い出は心の非常食。
■僕の辞書に成功なんてないの。進歩し続けるためにずっと未完成でいたい。
■願ってもらえた人がメダルを取れる。
■コートの中に入ったら自分で輝け。
■夢をもたないところに到達することはできない。
■バドミントンはやるのではなく、やり切る。
■自分はできる、自分を信じろ、人の目は気にしない。
■棒振が/人を刺すよな/蚊になるまでは/泥水飲み飲み/浮き沈み。
■おれたちにバック・ギアはない。前に進むんだ。
■食事は頭で摂れ。
■右のポケットには夢がある。左のポケットにはバドミントン。
■三倍努力。
■やって見せ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ。(山本五十六さん)
■心がシャトルを乱す。肉体ではない。
■あなたは問われている。バドミントンから。
■失敗しても前を向け、成功しても前を向け。
■バドミントンのおおきな円を描きなさい。そしてその弧になりなさい。
■バドミントン指導者は革命家。
(*二〇一七年十一月二十七日記)

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