2018年7月16日 (月)

予見のバドミントン

 バドミントンは相手からどんな球がくるか分からなければよい球を打つことはできなかった。初心者と熟練者ではこの予見力に差があるのである。熟練者は相手がラケットを振る瞬間にその打球の方向、角度、速さなどを感じ取ることができた。側から見ているとシャトルの方からその選手の方に吸い寄せられていくようにさえ思えるだろう。
 相手はどこに打っても待ち受けられているように見えるのである。壁に向かって打っている気になる。バドミントンは読みだが、熟練者は読める。初心者は読めないのである。
 なおバドミントンは負けるより勝つ方が何十倍も苦しい。人を騙すからである。私は性格がいいから強くなれなかったといって弁明を試みた。
(*二〇一八年七月十六日記)

2018年7月 9日 (月)

勝ち飯は「孫にわ優しい」といった

Img_2056 バドミントンには勝ち飯があるのだ。
 「孫にわ優しい」選手の食事でした。「ま」は豆、「ご」は胡麻、「に」は肉、「わ」は若布(海藻)、「や」は野菜、「さ」は魚、「し」は椎茸(茸類)、「い」は芋になった。
 食事は信号を食べた。(緑、赤、黄)食事は頭で摂りたい。一日三食の食事で主食、汁物、主菜、副菜、牛乳・乳製品を揃えて摂るのだ。
 とくに豆は大豆になる。大豆は畑の肉と分かる。間食も大事。
 それはお腹がすくと集中力がなくなることによって分かるのである。食事も練習だが、夕方の間食は晩御飯の一部をもってくることで、たんに量を増やせば太るのである。
(*二〇一八年七月九日記)

2018年7月 2日 (月)

「独自規則」の独自を取れ

 日本バドミントン協会は、このほどジャパン・オープン・バドミントン選手権大会(スーパー750)の出場資格を全日本バドミントン・チームA代表からA代表とB代表ほかにした。これにより世界順位の上位にいながら日本の独自規則により出場不可だったB代表の選手が出場できるようになった。韓国にも同様のものがあった。一年前から裁判になっていたのである。それが判決により出場する権利が認められたのである。
 日本にはA代表でなければスーパー1000やスーパー750に出場することはできないという独自規則が存在した。A代表を保護するためのものだが案に相違した。
 要はその他の選手にも国際大会への道を開くかで、世界が驚く日本の独自規則になる
(*二〇一八年七月二日記)

2018年6月25日 (月)

バドミントンは爆発だ

 バドミントン選手はとつぜん強くなると私はかつて書いた。それはなぜか。みなの疑問である。練習は大事でした。それは変わらない。そうとはいえ。
 「うだつが上がらぬ」選手がいる。それが一年たつと凄い。だれも勝てなくなる。若い選手に多い。大化けする。努力しない選手にはそれがない。
 これは火山の爆発と同じではないか。岩漿が溜まるといってもいい。この爆発するまでの間が苦しい。
 バドミントンはとつぜん強くなった。だから、面白い。朝起きたら、強くなっているのである。
 バドミントンは爆発である。宇宙に向かって精神が命がぱあっと開花する。
(*二〇一八年六月二十五日記)

2018年6月18日 (月)

えっ、女子複はないの? 

 速さと力強さのないバドミントンの試合を観客は望まない傾向がある。むろん私は速さと力強さのある試合を望む傾向がある。マレーシアやインドのプロ・バドミントン・リーグには女子複がなかった。
 観客は女子複は面白くない。見る気がしないといっている。たとえば速さ、力強さがないのである。失礼なと怒り給うな。あれでは観客を呼べないといわれた。ちなみに、いまの男子のバドミントンは十年後の女子のバドミントンだ。
 女子は男子に迫る。男子との練習は絶対必要だ。
 女子は女子とするだけではつくり出せない速さと力強さを体に叩き込むのである。
(*二〇一八年六月十八日記)

2018年6月11日 (月)

少な過ぎはしないか壁打ち

 壁打ちは天才を天才化する。テニスの言葉である。
 これはバドミントンにもあてはまるな。たいてい初心者は当てて押すような打ち方をする。これではシャトルは壁から跳ね返らなくなる。跳ね返った時間は少ない。
 壁打ちはちいさな後方に引く動作でする。このため鞭のようにしなやかに打つ必要がある。手首を柔軟にした。
 オーバー・ヘッドで疲れたらアンダー・ハンドで打とう。フォア・ハンドで疲れたらバックハンドで打とう。壁打ちの利点は一人でできることである。手首の使い方がしぜんに覚えられるのである。習うより慣れてもらいたい。有力な秘密練習法になる。
(*二〇一八年六月十一日記)

2018年6月 4日 (月)

テレリンピックというよりほかはない

 スポーツとテレビが表裏一体の関係にあることを疑う人はいない。五輪はテレリンピックといわれるほどである。テレビの影響は大きい。
 様々な競技で時間短縮が模索されているのである。私はテレビ向けにするためだとみている。バドミントンの規則はころころ変わっていた。二〇〇六年にはサイド・アウト制からラリー・ポイント制へ移行したのである。11点または15点2ゲーム先取から21点2ゲーム先取にした。
 サービス権という特徴も消えたのである。この世はお金で動いているのである。テレビはバドミントンに我が儘を押しつける。テレビ向きにしなければ五輪から除外される。こうして規則変更はあるのである。
(*二〇一八年六月四日記)

2018年5月28日 (月)

物事はできると考えて

 バドミントン界には何事もできないと考えるものがいる。そう考えるとたいていできないからできると考えてはどうか。
 できないと考えるのは頭がいいからだ。できないというのはなにもしないことだ。できると考えれば何百、何千という中から答えを探さなければならなくなるだろう。
 はたして気が遠くなるのだ。できない理由をいくら挙げてもできない。以下、略。
 やったことが返ってくるのがバドミントンになる。すべてが返ってくるのである。
 問題はなぜできないではなくなぜできる。なにかをやろうとしなければなにも起こらないとみなには分かっているはずである。私でさえ分かるくらいである。
(*二〇一八年五月二十八日記)

2018年5月21日 (月)

ちかごろドロップの練習

 バドミントンのドロップのことです。ドロップは相手を、コートの後ろに追いやってネット前が空いたときに落としました。ホーム・ポジションに動きながら打つのである。
 ドロップの返球で、ショート・サービス・ラインの中に突っ立って返すものがいた。零点の練習になった。それなら、すぐ小学生の練習をする。
 ドロップを落とす方は打ったらショート・サービス・ラインまで走って、あがったらシャトルを追っかけまた落とすのである。返球する方もあげたら、ロング・サービス・ラインまで下がって、そこからネット前に飛び込み、返すとよかった。
 これを何十回も繰り返します。たいへんな練習になりました。優勝者志向の練習です。
(*二〇一八年五月二十一日記)

2018年5月 7日 (月)

協会経由はだれのせい

 選手が国際大会で獲得した賞金は日本バドミントン協会(日バ)へ納めることとなっている。実際は世界バドミントン連盟を経由して、振り込まれるのである。日バは一割の手数料を取っている。
 残りの九割を都道府県バドミントン協会へ振り込んでいるのである。それを都道府県協会は本人あるいは所属チームへ渡しているのである。かつては日バで有耶無耶になったことがある。都道府県協会で放置されていたこともあった。これは選手が日バに振り込み用の銀行口座を登録することで解決する。海外の市民大会は主催者が現金を直接選手に渡していた。これがいちばん簡単である。
(*二〇一八年五月七日記)

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