2008年7月 3日 (木)

ニッカ、サントリー、オールドパー 

高校野球の有名校が、勝って学校の名前を売る必要があることは知っていた。野球は学校の広告塔で、経営そのものだというのでそうだと思った。優勝とともに、学校は有名校になった。監督は教育者の鏡になるのだそうだ。
もともと有名校は、マスコミが持ちあげたから有名になったのである。直向き、爽やかなどと歯の浮くようなことをいって、不祥事が起こったら手の裏返して、有名校を葬る一大運動を張った。
私は高校野球ならみな眉唾というくらいだから、むろん眉唾だと思っていた。高校野球そのものはテレビのニュースでちらっと見るだけである。監督のセクハラや落書き問題などありながら、郷土の誇りなどいうのはおかしく見えた。ただし、特別扱いするところはよく分からなかった。
甲子園は百人以上がプロ志望届けを出すのだから、プロ野球予備軍の見本市だった。有名校ほど暴力行為が多いという。喫煙ぐらいしないはずがない。二〇〇七年の野球部員の特待生は三百七十六校で、七千九百七十一人で、びっくりする数になっている。みなは特待生に好意的である。野球以外では問題になっていないというのである。日本高等学校野球連盟ばかりが喧しくいうというのである。だから、特待生のどこが悪いといって、ことに私立は食ってかかるそうである。
けれども特待生はその時代と大人の鏡である。有名校の中から代表的な何校かを選んで調べたら、A校は通称ニッカ、B校はサントリー、C校はオールドパーであることを発見するだろう。
ニッカは学費など二つを免除することだと聞いている。サントリーは寮費など三つを免除することだし、オールドパーはすべてが免除だというではないか。そんなことをしていればすべての者を堕落させてしまうだろう。
(*二〇〇八年七月三日記)

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2008年6月26日 (木)

賞金はないはもうない

ちょっと古いが、二〇〇七年十一月のことだった。新聞を見たら、テニス全日本選手権の男子単の優勝賞金は二百二十五万円とあったが、目に入るのは仕方ない。水泳は日本短水路選手権の世界新に二百万円の賞金を出すといっただろう。全日本総合バドミントン選手権大会(全日本)はなにもないと思ったら、奇異な感じがした。そう思ってしまうのである。
その横に、ゴルフ史上最年少の賞金女王と出ているのを見た。二十一歳で一億五千九百六十一万円である。
そのときの大会の優勝賞金が千六百二十万円である。バドミントンでこれだけ稼げるかと思っている。稼げてはじめて一流スポーツである。全日本に賞金がないどころかがんばればかりのバドミントンごときはまず落第である。それならゴルフや野球である。お金でいっぱいなのが一流スポーツである。
すでにしておかしい。このまま賞金を出さなくてどうしようというのだ。二〇〇八年一月の新聞にバレーボール全日本選手権の優勝賞金は一千万円とあった。バドミントンに賞金を出さぬどんな理由があるというのか。分かってないのだな、まるで。
米大リーグを見ると、二〇〇七年の平均年俸最高はヤンキースの八億円だそうである。バドミントンの売れっ子オグシオの年収は五百万円と聞いている。なんじゃこれである。そうしてみればやっぱりお金なのである。バドミントンの第一種年次大会に賞金が出るようになってはじめて、この不満はやむ。
これはマクドナルド理論だ。ハンバーガーのマクドナルド店がある国ではバドミントン大会に賞金が出るのである。その国の経済がマクドナルドの系列展開を支えられるぐらいまでになるとだった。選手は賞金を求めるようになるのである。賞金を出さない代価は著しく高くなって賞金を出すようになるのである。
それでも以前はまだよかった。選手は金品を受けてはならないといっておればよかった。いまはそんなことはいえなくなっている。「クレヨンしんちゃん」がテレビで見られる国ではそんな話は通用しなくなった。賞金はないはもうない。
全日本の賞金化は時間の問題であって、すんなり行くのではないかと思っている。けれども反対する者は絶対にいる。そしてそれはいつの時代も同じく時代遅れなのである。
(*二〇〇八年六月二十六日記)

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2008年6月19日 (木)

健身です(その十九)

●健身です。バドミントン選手は魚、魚、魚、魚を食べても頭、頭、頭、頭はよくなりません。
●健身です。日本は侘び、寂の国です。最近のスポーツ界は詫び、詐欺じゃないですか。
●健身です。再婚希望の元バドミントン選手は高血圧、高脂血症、高コレステロールの申し分のない三高です。
●健身です。秀樹がバドミントン大会で優勝しました。秀樹感激。
●健身です。秀樹が一回戦で負けました。秀樹惨劇。
●健身です。バドミントン選手は腰から下が足、女優は胸からうえが顔といって後悔したとです。
●健身です。ハルウララが馬刺しになったと聞きました。
●健身です。マラソンって沿道にこんなに人がいるんだ、バドミントンって回りにこんなに人の足を引っ張るやつがいるんだ。
●健身です。高校野球のサイレンの音を聞くと空襲警報と思ってしまいます。
●健身です。道路特定財源からバドミントン用具支出だけはいいと思います。
●健身です。子どもたちに素振りをさせていたら、空ふりの練習をしてなんになるといわれました。
●健身です。乞食のW杯(サッカー)に五十か国ですって。そんな暇があったら働いたらいいじゃないですか。
●健身です。フェルナンデスさんってヘタナンデスか。(*楽天)
●健身です。気がついたらバドミントンの神様の家来になっていたとです。
●健身です。練習はどれくらいやっているのと聞かれたのでべつにと答えたら、べつにはエリカよりあなたの方が先なのねといわれました。
●健身です。スマッシュが男のいちばん大切なものを直撃しました。説明してもこの痛さは女には分からんとです。
●健身です。知人のバドミントン選手が結婚することになりました。人間は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚するとです。
●健身です。バドミントンはなん手も先を読むスポーツだといったって、いつもいまが読めてないじゃないですか。
●健身です。掌に諦めなければ夢はかなうと不滅インクで書いてみました。諦めずに消そうとしても消せんとです。
●健身です。貯金、年金、髪の毛、妻の愛情、バドミントン寿命がどんどん減っていくとです。
(*二〇〇八年六月十九日記)

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2008年6月12日 (木)

昔は「ハイル・ヒトラー」といった

恥ずかしいなんてものじゃない、いまの日本人は「ハイル・ヒトラー」の意味も知らない、それは戦争を知らない世代だからだと聞いた。
ついこの間の某県高等学校総合体育大会(県高校総体)の開会式のことだった。病院の待合室でちらっとテレビを見たら、入場行進で多くの学校が「ハイル・ヒトラー」紛いの右手を斜めに挙げるファシスト(ナチス)の敬礼をしていたから、びっくりしてしまった。
後日私はそういってなにがいけないのかと問われた。ベルリン五輪(一九三六年)のナチス選手団にぴったりだよといったが通じない。アドルフ・ヒトラーさんのユダヤ人虐殺は知っているかといったら、やっと思い出してくれたが、開会式の敬礼とは繋がらなかったようだ。
日本の入場行進ではファシストの敬礼をしているのをまだ見る。あの敬礼を、意味も知らずにやっている者が多い。
ファシストの敬礼は禁忌だったが、ヒトラーさんやベニート・ムッソリーニさんの亡霊なら喜ぶかもしれない。いまとてナチズムは死に絶えたわけではない。ナチ党員と政治思想は残っている。テレビでときどき見るのである。
県高校総体の開会式を見ると、不愉快になる。ファシストの敬礼で、あれはやってはいけないという者がいないと分かる。いう者がいなくてもやってはいけないことに相違はない。
知っているいないにかかわらず右手を斜めに挙げる敬礼には深い意味があるのである。いつぞやあれを私はヒトラー万歳だと書いたが、これはナチス賛美とみなされて、ドイツでは逮捕・処罰の対象になるのである。
海外のスポーツ大会を見よ。あれは御法度で、やらないことになっている。それなのに日本人は意味を知らないからファシストの敬礼はやまない。各高校の校長さんが選手団の先頭に立ってしているのである。だから、私は禿や白髪は教養の印ではないと遠慮しいしいうのである。
(*二〇〇八年六月十二日記)

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2008年6月 8日 (日)

負けても負けても

この世で確実に起こることが二つだけあることが、元サッカー・アイルランド監督ハンドさんの話を聞いて分かった。人は死にサッカーの監督は首になった。オマーン・サッカー協会は、二〇〇八年六月二日のワールドカップ(W杯)アジア三次予選、日本戦(日産スタジアム)に0対3で破れたオマーン代表のリパス監督の解任を決めた。オマーン協会専務理事の話だが、我々は国家代表チームの日本戦での戦いぶりに失望したというのだった。
はたしてサッカーの監督はすぐ責任を取らされた。Jリーグはというと、これも日常茶飯事になっている。
バドミントンの、監督はどうかだった。なかなか首にならなかった。日本の女子はユーバー杯二〇〇八で全敗だったから、どうなるのかと見ていたら首にならなかった。
サッカーなら絶対そんなことはない。すぐ首になった。
負けてもバドミントンはだれも責任を取らないから、バドミントン界に、そんな奇特な人はいないと思うことがある。責任という言葉がないんだな、いつも負けて、いちいち監督は責任を取っていられないのだった。いくら首があったって、足りないのである。
そう思う。監督やコーチはもちろん会長以下役員たちみなが責任を取らぬ。ということはというと、裏を返せばすべてを賭けてバドミントンの仕事をやる人がいないということになる。
がんばる人は、いないのだから、責任を取るかどうかは覚束ない。まあ、そういうことである。サッカーの監督は、首になったがそれもいまはバドミントンに欲しかった。筋ぐらい通した方がいいとこのごろ私は思うのである。
負けても負けてもだよ、バドミントンは責任を取らなかった。サッカーを見てこんなことを思った。
(*二〇〇八年六月八日記)

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2008年6月 1日 (日)

なにゆえの高速水着

以前私は棒高跳びがいかにポールに左右される競技であるかをいった。ことに十九世紀には三メートルだった世界記録を、いまは女が凌ぐばかりか、六メートルを超すまでになった。
東京五輪(一九六四年)のころは日本記録は四メートル七〇といっていたのに、女も超すというのは超し過ぎではないのか。もし失礼でないとすれば、それはことごとくポールの改良のお陰だということになる。
最初ポールはヒッコリーという堅い木だったのである。それが竹に替わって、さらに金属に替わっている。
記録はグラスファイバーに替わって飛躍的に上昇したのである。魔法の杖のお陰である。身体能力はそんなに急に伸びないからそう考える。身体能力じゃないポールだといくらいっても聞かない。棒高跳びを支配するのはしなりの強さ、反発力を生み出すポールだから、軽くて強いことであって、これにはだれも異論がない、記録はポールのお陰ばかりではない、すなわち身体能力+ポールと思われるが、ポール依存は変わらない。陸上はトラックの改良と聞く。そもそも土がアンツーカーに替わったが。いまはポリウレタンや合成ゴム塗装である。
記録が向上したのは全天候トラックのお陰で、この恩恵はもっとも短距離が受けている。いくら練習といわれても私は言葉よりトラックを信ずる。絶対トラックだという。
けれども関係者はあまりそのことをいわない。ポールの改良によって棒高跳びの記録を伸ばすことは容易である。トラックや靴の改良によって陸上の記録を縮めることも容易である。
水泳はスピード社の高速水着で、世界新記録が相次いでいるがちっとも快挙に見えない。あれは水着が泳いでいる。選手たちは0秒1を縮めるために厳しい練習をしているのである。それが水着を替えただけで何秒も短縮するのである。
ここにみな嬉しいというより複雑な思いをしている。ゆえに水泳はスピード社の高速水着を着ないと、話にならないと言い張るのは、一種の技術的ドーピングである。いまスピード社の高速水着は体の締め付けが厳しいとメタブーの人たちに大人気である。
(*二〇〇八年六月一日記)

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2008年5月25日 (日)

オーストリアからのメール(16)

◆二〇〇八年(平成二十年)四月十四日
芦原コーチお久しぶりです。三月、芦原コーチが台湾にいらっしゃった時期は台湾総統選で盛りあがっていた時期ではないでしょうか。選挙とバドミントンはまったく関係はありませんが、また違った台湾の雰囲気でしたでしょうか。台湾の国際大会は優勝を狙っていらっしゃったんですね。残念かもしれませんが私は実際の試合を拝見したわけではないので三位でもじゅうぶん素晴らしいと思います。また団体旅行でなく一人旅をすると、良くも悪くもいろんな人に知り合えるし、いろんな経験ができいい思い出になりますよね。
私も右足の肉離れがようやく回復し、三週間前からどきどきしながらバドミントンを再開しました。二か月ほどバドミントンもせず、おとなしくしていたのですが自分でもびっくり、ぜんぜん退屈ではありませんでした。なんだか私はなにかしらばたばたして退屈する暇がないようです。ナディンちゃんが無事に進学校への進学も決まり、彼女自身も喜んでいました。来年のニコルちゃんがちょっと心配なところです。
毎年恒例の三月のスイスオープン準決勝観戦は子どもたちも一緒に行き、林丹から二人ともサインを貰ってきました。どんなサインかと見たらLDと書いてあり、こんなサインもありとみなで笑ったものでした。いちばん簡単で分かりやすいですね。毎年観戦をしながら思うこと、私がいつも競技しているコートと同じ大きさ。コートが本当にちいさく見えるのです。それだけ選手の動きが速いんですよね。フットワークにしても、ネットプレーにしても、すべてが違うと思い知らされます。
そうそうダビッド君がスイスオープンの審判員をしました。その一週間後、彼は中国へと向かったのでした。いつの日かまたオーストリアに戻ってくるか、そのまま中国で仕事を続けるか、とにかく中国での彼の人生が素晴らしいものになることをみなで激励しました。
芦原コーチは映画はお好きですか。「007」の次回作の撮影地に、ブレゲンツの湖上の音楽祭会場とフェルトキルヒの市街地が選ばれました。、来月あたりフェルトキルヒの街中は映画撮影中閉鎖されるそうです。映画好きの私は本当に嬉しくて撮影見学できるかしらと思っていたところに、ボンドの端役を千五百人応募と新聞に掲載されていて、映画好きな友達三人と応募会場へと足を運びました。けっきょく五千五百人応募が集まったらしく、確率から見ると無理だねと思っていたところになんと、先々週電話があったんです。
内容は私に黒い衣装をもっているかという電話でした。一緒に行った友達には電話もかかってきていないので採用される確率が高まってきました。今週あたりに結果を連絡するといっていたその返事がまだないのです。来週あたり電話しようかしまいかとうじうじしている私でした。
◆二〇〇八年(平成二十年)四月十七日
ボンドの端役の話しそんなに面白いですか。募集の日は狂っていたんです。端役の募集は金、土、日曜と三日間あり、前日木曜日のバドミントンの練習後、芦原コーチも行った料理店へいつものように飲みに行った際、みんなに今週末一緒にだれか行かないか聞いたんです。みんなに笑われました。私のような人を「わさもん」と熊本ではいうんですよね。
ドリスも、えー、みはる本当に行こうと思ってるのと信じられないって顔でした。私と一緒に行った、友人とメディコ、その友人は会場前のあまりの人の多さに1時間くらいで帰っていきました。募集の初日で会場の前は押し合いへし合い状態だったんです。
私にとって本当に初めての経験で、胸が圧迫されると危ないよとメディコと私、両手で鞄をひたすら前に握り締めて我慢しました。メディコは人が多過ぎて息ができない、こんなのグルジア共和国の革命以来だわ、圧死する人の気持が分かったような気がしました。
こちらの方々は身長が高いのでちいさな私は前方がどうなってるのかまったく見えないんです。こんなの狂ってると叫んでる人がいるかと思うと、じゃあ、出て行け、そうしたらすこしでも場所ができる。
私はメディコに、これも忍耐を試されてるのかもよといい方に考える努力。その中で待つこと3時間、外なので寒いはずなのに汗がだらだら、便所にもいけず。やっと入れた会場、手は震え、めまいがして、応募番号をもらって名前や住所や身長、胸囲、足、頭の大きさを測ってもらい書き込まねばならないが、手が震えて字が書けない。これではいけないと会場内でコーラを注文して飲んだコーラ。コーラがこんなにおいしいしいとは知りませんでした。しかし、やつれた姿で写真を撮られ、散々でしたが、結果よければそれでよし、ジェームスが見られるんですから。
昨日待望の電話がありました。四月二十三日、衣装合わせにブレゲンツに行ってきます。
芦原コーチはマレーシアに行かれるんですね。それではまた。みはる
(*二〇〇八年五月二十五日記)

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2008年5月18日 (日)

バドミントンのもう一つの敗北 

水泳の競泳で三十一人の北京五輪代表選手が内定した。代表選手はほぼ全員がスイミングクラブ育ちで、いまも練習は基本的にクラブでしていると聞いたから、そうだろうなと思った。水泳らしい。一九六四年の東京五輪で日本の水泳陣が獲得したメダルは男子八百メートルリレーの銅一個だった。
それなら立て直しが必要になる。参考になったのは二十二種目中、十六種目で優勝した米国だった。米国の国歌が水泳の歌と思われたほどの強さだった。ご記憶だろう。米国の強さがスイミングクラブの存在だったことはいうまでもない。スイミングクラブをつくらなければならない。子どもたちに泳ぎを教えなければならない。アテネ五輪を見ていたら、水泳の活躍だった。スイミングクラブの影響が大きい。合計メダル十個。
一九六五年にスイミングクラブの第一号をつくり、町のクラブに切り替えたのが水泳であり、現在、日本スイミングクラブ協会加盟のクラブは約千百になるのである。
自前のプールで水泳教室を開いている施設も、公共のものを除いても約三千百になるらしい。アテネ五輪の活躍の答えがここにある。その水泳は各地のスイミングクラブづくりを応援してきたが、バドミントンは恐れ戦く。
日本の水泳が十六年ぶりに金メダルを獲得したのは一九七二年のミュンヘン五輪だった。優勝した田口信教さん、青木まゆみさんともにスイミングクラブ育ちだったのに、いまだにバドミントンはこの体たらくである。バドミントンも近くそうなる。町のクラブをつくるしかないからいっておく。
それにつけても私たちが期待していた第二十二回ユーバー杯(二〇〇八年五月十一~十八日・ジャカルタ)は全敗である。世界で勝つのに町のクラブをつくらないで勝つなんていったって、そんなことできるものではない。ただ浅墓なだけである。
勝つどころかバドミントンの前途を危うくしてその自覚がない。三十数年前からいってきたことで、いっそ日本バドミントン協会が町のクラブでやると打ち出してはどうか。
ユーバー杯は惨敗で騒がれたが、遊びでバドミントンは滅びないが、教育では滅びる。これこそ「バドミントンのもう一つの敗北」だと私はいっている。町のクラブをつくるしかないから一考を勧めたい。
(*二〇〇八年五月十八日記)

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2008年5月14日 (水)

西螺の休日

西螺(シールオ)に行った。モーニングカップ国際バドミントン大会(台北体育館・二〇〇八年三月二十一~二十三日))の終わった翌日だからちょっと辛い。全國中等學校運動會羽球資格賽が開催されると聞いたからである。場所は雲林縣立西螺國民中學羽球館(國民中學)、雲林縣立羽球館(羽球館)である。白宜潔さんの競技を見る目的があった。彼女はモーニングカップで日本人の世話役をしてくれる謝恵麗さんの娘さん。
長身の十七歳である。台湾の星、基本練習は昨年見たのである。今回は試合を見てみたい。といっても西螺はどこ。台北の二百二十キロ南といわれても見当がつかないし。
台中の南の彰化のもっと南と聞いても分からない。ちょっと心配になる。それなら行ってみるまで。路程は①王朝大酒店~台北駅②國光客運巴士西站~西螺③西螺站~羽球館。早朝、台北から高雄行きの国光号に乗ったのである。約3時間のバスの中は中国語の世界だった。西螺站からは羽球館へ行くという高校生と一緒になる。羽球館の前に行ったら知人の呉文達さんの銅像があった。本部席に行って謝さんを尋ねたら國民中學の方だった。事務所で道を尋ねていたら白さんが駆けつけてきた。一年ぶりの再会を喜んだ。
國民中學へは、若いあんちゃんがオートバイに乗せてくれる。街を、ヘルメットもつけないで疾走した。國民中学に行ったら顔見知りの男性が声をかけてきた。試合を見ていたら林瞳露さんが審判をしていた。林さんはモーニングカップで混合複のペアを組んだ温秋琴さんの娘さん、世間は狭いことを実感する。
役員席に行ったら大歓迎で、精進弁当、枇杷、お菓子、珈琲とつぎつぎと出て温かい。みなよくここまでこられましたねといってびっくりしていた。謝さんに、よかったらもう一週間ほど残っていかれませんかと勧められる。帰りは西螺站まで古い街並みを眺めながら歩く。肝心の全國中等學校運動會羽球資格賽は、日本の高校生、中学生と同水準といったところ。西螺は醤油の産地である。20分ほど歩いたら西螺站に着いた。
西螺站からは高鉄の鳥日駅までバスが出ている。そう聞いていたら、そんな駅もバスもなかった。それなら、きたときの逆に帰ればいい。台北行きのバスに乗りたいといったら窓口の女的が困った顔をしている、どうも乗れないといっているようなので押し問答するうち、みななんだなんだといって集まってきた。
英語の話せる小姐の説明によれば今日のバスはすべて満席らしい。まずい。どうしても台北まで帰らなければならない、懸命に訴えたのである。そうしたら席を空けてくれたから、ありがたいだろう。時間があったので中山路をぶらぶらしていたら一つ前のバスに乗れという。ところが今度は購入した切符がない。また一騒ぎである。
出てきた切符は台北西站の窓口で払い戻しをしてくれると聞いていたが、これまた言葉が通じなかった。運転手さんがきてくれて、三百二十元が戻ってきた。私は何度も謝謝といって固く手を握った。それにしても声が大きいというのは、得である。みなすぐ集まってきて、なんだなんだといって、助けてくれる。
けれどもこんなの自慢にならないのである。台北駅の地下から南京東路までMRTに乗ろうとしたら、切符がカード式からコイン式に変わっていた。これは切符なのかと地元の人に尋ねる。台湾に親切な人多し、だれかうまい文章で書いてくれないか。書けばみな台湾が好きになるだろう。
(*二〇〇八年五月十四日記)

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2008年5月 7日 (水)

うまくなったねという

娯楽志向のバドミントンクラブに行ったときにはどうすればいいか、褒めるよりほかないと長年私は褒めちぎっているが、そればかりではいけないだろうからここですこしいうことにする。ただ褒めるときはコートの中ですぐいう。下手でもエリカうまくなったねと回りに聞こえるようにいう。
たとえば私がエリカと複のペアを組んだときだ。そのエリカときたら、うまくなったねといって褒めると、その喜ぶことひとかたではない。ただし、もうちょっとネット前ができるようになるといいのだけれど、とつけ加える。
褒めるといいのではあるが、褒めてばかりいると、まさかとは思うがエリカは増長するかもしれない。だから、もちょっとネット前ができるようになるといいのだけれどとつけ加えるのだ。まず最初にエリカうまくなったねと褒めて、有頂天にさせ、そしてもちょっとネット前をというと、一生懸命に聞いてくれるから私はにっこりする。
これがたとえば最初に、おまえはネット前が下手だ、というと駄目なのである。エリカがべつにといってふて腐れるのはそのせいである。日本のバドミントン指導者でもっとも欠けているのはこの姿勢であること、褒めることだ。選手のやることを肯定したらなんでも聞いてくれる。いま悪いのは最初に否定するそのせいである。
私はエリカに、エリカうまくなったねといって褒めるが、このごろ見られるようになったのは、長くやっておればだれでもそれなりにうまくなるからだった。さりとて市町村民体育祭以上の水準にはならないだろう。エリカたちの複は終始サイド・バイ・サイドで困っているが、四人で半面単をしていて、トップ・アンド・バックになることがないと、私は笑っている。
じつをいうと私はそれをいうことを控えている。
(*二〇〇八年五月七日記)

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