2017年6月26日 (月)

部活改革

 学校の運動部活動(部活)が学校単位から地域単位になることをご存じだろうか。娯楽志向は総合型あるいは単一種目を行う地域スポーツ・クラブに一任する。優勝者志向は民間スポーツ・クラブに任せた。
 ドイツは地域スポーツ・クラブの国になる。今回私がいいたいのは、世界のほとんどがそうだということで、むろんご存じかもしれない。どこに限らずスポーツは地域社会でするのである。
 そのことはだれも知りながら、長年改まらない。部活をやめることを本気で考えた人はない。むしろはやくそうした方がいいのではないか。
 じつをいうとこれらのことは半世紀前からいわれてきたことなのである。時代である。
(*二〇一七年六月二十六日記)

2017年6月22日 (木)

スポーツは人格形成に役立つまた出る

 私は小学校の運動部活動運営規約を読んで笑ったことがある。児童の健全な心身の発達を目指し豊かな人間性の育成を図るとある。このごろすこし疑うようになった。
 よくスポーツによって人間的に大きく成長したとかいう。スポーツをやれば立派な人間になるというのは神話になる。人間づくりとスポーツは関係ないからである。
 どんなに立派な人も指導者になった瞬間から褒められたい病にかかるのである。悪いことをする指導者もいるだろう。彼が選手の人格形成に貢献しているというのだったらなにをかいわんやなのである。スポーツは人格をつくらなかった。ただ弱い性格のものを排除するだけである。ともかく私のような変わった人物を生み出すことだけは確かである。
(*二〇一七年六月二十二日記)

2017年6月19日 (月)

我らみな町のクラブっ子

 少年の硬式野球にはリトル・リーグがあるのである。
 サッカーはJリーグのユース・チームがある。柔道、剣道は道場があった。水泳は町の水泳クラブである。
 そういう時代になった。バドミントンは当初、学校を中心に発展したのである。いまはそうではない。だから、町のクラブが繁栄するのだなと合点した。ほかの種目がそうならバドミントンもそうである。「我らみな町のクラブっ子」になったのである。
 だから、私はよかったなと思ったのである。かりにも一国のバドミントンである。バドミントンのレアル・マドリードぐらいあっていい。なければつくるがいい。
(*二〇一七年六月十九日記)

2017年6月15日 (木)

恐いながら考えた

 私のような小心者がバドミントンをするとどうなるか。試合前は恐くて仕方なかった。相手が恐いわけではないのだった。
 負けることが恐くなる。優勝しようと思っているとそうなるのだった。
 幾つになってもその恐怖はなくならない。恐怖心は辛いものである。
 苦しいものだった。ときにそれはおおきな推進力になるのでした。そんな恐怖と向かい合うのである。
 その恐怖を楽しむことだと気がついた。けれども頭と脳は考えることが違う。いまもコートに入るときは恐い。
 指導者としてベンチに入るときもそうで、勝ちたいと思うからだが、いうまでもない。
(*二〇一七年六月十五日記)

2017年6月 8日 (木)

この誤解された言葉「間食」

Siomusubiyoko 間食はよくないといわれた。
 そうかな。そんなことはなかった。
 といっても分かるまい。むしろバドミントン選手には間食が必要だろう。
 朝ご飯は七時。昼ご飯は十二時で晩御飯は練習があるから二十二時になる。これでは体は保たないと思う。集中力がなくなるな。
 それで間食が必要なのである。十七時ごろ食べた。たんに量を増やせば太った。晩御飯の一部を間食にもってくるといわなければならない。
 間食はなにを食べる。御握り、パン、ゆで卵、肉まん、牛乳、ヨーグルト、バナナ、チーズ、ココア、果物などがいいと知るのである。
(*二〇一七年六月八日記)

2017年6月 5日 (月)

ちょっと待てその参加資格

 全日本シニア・バドミントン選手権大会の参加資格がおかしかった。出場者は公認審判員の有資格者となっているだろう。うっかりみなはこの一大事を見逃していた。
 日本バドミントン協会(日バ)はばかなことをした。選手と公認審判員は関係ないだろう。そして日バはまったく非難されない。というよりできない。ところが年輩者の人たちがそれを試みた。全日本シニアに真っ白の運動服で出場しようと言い出した。日バへの抗議といっておきたい。
 また世界シニア・バドミントン選手権大会の参加申込は旅行代理店になっていた。これはどうかと思っている。申込は日バじゃないの、みなそういっていた。
(*二〇一七年六月五日記)

2017年6月 1日 (木)

ぽち

 力はあるが試合で勝てない。そういう選手がいるのは珍しいことではなかった。
 それは試合を見れば分かる。そういうものには、自信がない。子どものころから負け続けるとそうなる。負け癖になる。
 なぜバドミントンは勝つことが大事なのかというと、こうなるからである。彼は一回でも優勝すれば自信がつくだろう。けして負けまいとするだろう。
 ぽち(犬)が狼になるのである。バドミントンは自分がやられる前に相手を叩きつけた。
生まれつき人をやつける本能に欠けている人はバドミントンには向かなかった。さらにバドミントンは人を騙すスポーツである。
 人を騙すってこんなに楽しいことはない。かくのごとき人が強くなるのである。
(*二〇一七年六月一日記)

2017年5月29日 (月)

量よ質へ変われ

 バドミントンの練習は強くするのが目的だと私は理解している。
 質より量の練習をすると、いつか限界がきた。練習は気休めのためにするのではないと、これは以前もいったが何度でもいう。
 バドミントンは少年の時期は劇的に成長するのである。青年になるとなかなか難しくなるのである。質を考えた練習をしないとどんどん遅れていくのである。量は熊だと私は考える。
 熊を可愛がって。でも、抱いては駄目。熊はあなたを押しつぶすから。
(*二〇一七年五月二十九日記)

2017年5月25日 (木)

反省だけなら猿でもできる

 知人がバドミントンの試合でいつも負けるのである。なかなか勝たせてもらえない。
 いかにも彼は反省した。もう反省はいいのだった。いまだに彼は反省を繰り返している。いま問われたら、反省だけなら猿でもできると答えたい。
 またなにかといえばがんばるというからそんな話は聞かないに限る。名人、達人を見ると努力なんかしてないと想像することができる。好きなことを楽しんでいるだけだと分かる。ほかにもあるが今回はここまで。
(*二〇一七年五月二十五日記)

2017年5月22日 (月)

会員対役員

 競技団体に対して、会員の関心がなかった。無関心だった。
 むろんよくない。これは会員が悪い。競技団体は会員が関心をもたなければだいいち変えられない。変えられなければよくならない。
 競技団体の歴史の半分は会員と役員の戦いである。競技団体の規約は役員の暴走に歯止めをかけるためにあった。競技団体は会員がつくっていかないといけなかった。
 変えるのはいわゆるよそ者、若者、ばか者である。
(*二〇一七年五月二十二日記)

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