世界シニア選手権というもの
第三回世界シニアバドミントン選手権大会(二〇〇七年四月二十四~二十九日)とはどういうものか、資格(全日本シニア八強以内)を満たしていたので出場することにした。場所は台湾の台北だった、日本からの出場者は五十五名だという。世界二十一か国から三百六十六人である。種目は三十五歳以上、四十歳以上、四十五歳以上、五十歳以上、五十五歳以上、六十歳以上の男女単、男女複、混合複になっている。
六十歳以上男子単、五十五歳以上男子複(ペア寺崎由雄さん)、五十五歳以上混合複(ペア桶本百合子さん)に出場することになった。三種目はちょっと辛い。体がもつだろうかと思った。
手術した足首の具合が悪い。二週間前には左膝に激痛が走った、もう試合は無理だろうと一度は諦めた。手術覚悟で病院へ行ったら半月板が外れたのではないかというのである。一週間前になって練習を再開する。
大幅な調整遅れである。勘が鈍っている。試合に間に合うかどうか分からなかったのである、もうそんなことはいっておられくなる、出場できるだけでありがたいのだ。
■二〇〇七年四月二十三日
朝の八時過ぎ車で、熊本を出発した。福岡空港発十二時二十分の台北行きに乗る予定だったのである。ところがいけない。福岡の都市高速には入って足首保護のコルセットを忘れたことに気がついたのである。電話をかけてもどうにもならないし、熊本へ引き返したのである、けっきょく福岡空港へ着いたのは十三時だろう。もう、福岡から台北へ行く航空機はない、そこで今日中に台北へ入ることができる航空機はないか探してもらったのである、なんとしても行かなければならない。
二十時十五分関西空港発のノースウエスト機に空席があることが分かる。福岡発の関西経由で台北の王朝大酒店に着いたのは零時前だった。
■二〇〇七年四月二十四日
十一時から予選リーグが始まる。私は五人一組の第六組である、六十歳以上男子単(単)はいちばんの激戦種目だという、出場者は三十七人である。予選リーグで一位にならなければ決勝トーナメントへは進めないのである。
一回戦はインド選手である。一ゲーム目、冷房装置の風が吹いてどう打っていいか分からないのである。相手より風との戦いだった。2対0で勝った。十二時半から複の初戦は、ニュージーランド組と競った。1対2で敗れる。即席ペアは難しいと思った。
十六時半から混合複の一回戦である。相手は日本ペアだったが、接戦の末に0対2で敗れた。相棒の桶本さんは前後陣形ははじめてで、なかなかうまくいかないのである。が、ここは前後陣形に撤する。十七時半から単の二回戦である。相手はドイツ選手、なんと大きいのだろう。
大人と子どもみたい、負けるわけにはいかない。2対0で勝利した。十八時からの複二回戦はタイ組だったが競った末に0対2で敗れる。
■二〇〇七年四月二十五日
十一時からの単三回戦はマレーシアのHo Tze Fah選手である。一ゲームを取り二ゲーム目はマッチポイントを握りながらもう1点が取れない。逆転される。三ゲームも接戦の末に取られた。試合は押しているのに相手の最後の捨て身のカットが拾えなかったのである。ああ、がっくり。
十四時半からの複三回戦は、カナダ組に接戦の末に1対2で敗れる。寺崎さんとはじめて組んだ複は調子に乗れそうで乗れないのである。みな勝てそうなのにである。十六時半からの混合複の二回戦はイングランド組に完敗する。
サービスをするのに、二メートル級の男性にネット前に立たれるとする場所がなくなる。これは強いと、いい勉強になったのである。
■二〇〇七年四月二十六日
それにしてもおかしな時間割だ。昨日まで九試合もしたのに今日は一試合もなかった。
でも、足首も腰も膝も痛くてへばっていたので助かった。試合を見ていたら意外、Ho選手がドイツ選手に敗れる。その結果私が六組一位になって、準々決勝進出。
ドイツ選手にはおめでとうといって手を握る。Ho選手にはありがとうといった。
■二〇〇七年四月二十七日
十時からの単準々決勝の相手は五組一位のデンマークのKnud Donielsen選手。勝つしかない。一ゲーム目は21対16で取る。二ゲーム目は16対21で落としてどうなるか分からない。三ゲーム目は大接戦になる。二度相手にマッチポイントを握られたが、23対21で勝利する。
準決勝進出が決まった。ただ私の体は限界で、複は棄権することにした、混合複も棄権した。まだ予選リーグが三試合も残っていたのである。後は単に懸ける。でも、もう、いけない。十試合もやっていた。うち四試合が三ゲーム、延べ十一試合になる。
■二〇〇七年四月二十八日
十時からタイのChaisak Thongdejsri選手と準決勝だったが、私は前日までとは別人で、まったく動けず0対2で完敗する。我ながら不甲斐ない。かくて銅メダルに終わる。
Chaisak選手はうまかった。スマッシュを一本も打たない。夜は十九時から海覇王でさよならパーティーが開かれて、飲んで食べて喋って写真を取り合って、楽しい。
■二〇〇七年四月二十九日
決勝戦のChaisak選手は相手にぜんぜん試合をさせないでいる。サービスとカットとクリアーだけである、いままで見たことのない競技で、私もがんばらないといけない。世界シニアはいまや勝負第一の大会、楽しむ雰囲気はない、またそんなことでは勝てない。五輪と違うのは年齢が三十五歳以上ということだけでしかない。
各国は元、前国家チーム選手をぞくぞく送り込んできていた。たいへんな時代になったものである。午後、謝恵麗さんの二人の子どもさんの練習を見る。姉さんは二十一歳の国家チーム選手、妹さんは十六歳で百七十四センチぐらいの未完の大器だ。
二人に興味が湧く。姉さんは台湾で単の一、二番手。さすがにうまい。妹さんはまだ技術も体もできていない。二人ともまだこれからの選手である。夜は長春路の酒楼で日本選手団のさよならパーティーが開かれる。
■二〇〇七年四月三十日
朝四時に起きる、台北発八時十分のエバー航空に乗る、次回はスペインである、またバカミントンができるなら行きたい。
(*二〇〇七年五月一日記)
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コメント
世界シニア大会お疲れ様でした。
久しぶりに先生と話をさせてもらい、試合も
見させていただきました。本当に良く頑張って
いるな~ と思いました。相変わらず厳しい
表情でやっていました。昔教員大会で見たまま
でした。
先生の試合をVTRに撮りましたので送らせて
いただきます。
いろいろとありがとうございました。
投稿 落合 久夫 | 2007年5月 9日 (水) 20時41分