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2007年12月22日 (土)

本当は低水準が好きなのだ 

いま日本バドミントンリーグ二〇〇七(日本リーグ)が行われているから、気付いたことをいっておきたい。
日本リーグは二複一単で行われていた。なぜ二複一単にしたか。トマス杯・ユーバー杯は二複三単だった。スディルマンカップは三複(男子、女子、混合)二単(男子、女子)だった。どちらかに合わせるべきだろうと考えられる。
どうして二複三単にしないのかと聞いたら、人件費の問題だといわれた。二複一単でやれば強くなるか。
二複一単はだれもまずいことに気がつかない。関係者が日本リーグは強化に繋がっていないといったのはこのことで、せっかくなら強化に繋がるようにすればればよかった。
それにもかかわらず外国人は複に一人と制限する。外国人は単に出場できなくて、単の選手が複をすることもあるという。およそこの規則ほどばかなものはない。タフィック・ヒダヤットさん(インドネシア)に複をさせてどうする。彼が複の選手ならいいが、むろんそうではない。しかも外国人が単に出場すると日本選手は勝てないというのである。
したがって、今後とも外国人は単に出場できないから単の水準はいよいよあがらない。また日本リーグは混合複がないが、ないからいつまでも軽視する。
二〇〇七年十二月、私はオーストリアのウィーンでブンデスリーガの試合を見る機会を得た。ドイツやオーストリアのブンデスリーガが男女共同の八試合(男子複二、男子単三、女子複一、女子単一、混合複一)で二回(敵地、本拠地)戦うことはご存じかもしれない。
以上、チームの半数が外国人だとすれば、これまでもこれからも日本リーグが外国人枠をつくって制限するのはとんだ見当違いだった。みな本当は低水準が好きなのかもしれない。
むしろ日本リーグは日本人枠をつくることだし、日本人の出場は三人以上と義務づけてほかは問わないことだ。外国人枠の撤廃こそ強化に繋がるものである。
ところで、最近欧州でプロになりたい日本人が多いという。考えが甘いのである。まず力だが、全日本総合バドミントン選手権大会で四強以上の力がなければ通用しない。日本人は安易に考えて、簡単にお金が稼げると考えている。
チェコやスロバキアの選手はウィーンのチームと年間約六十万円ぐらいで契約している。これでは、日本人は金銭面でも無理だと、私ははっきりまたはぼんやり知っているからである。
日本で通用しないなら海外でも通用しないと思え。ただし、海外に挑戦する気持は買うのである。プロで生活する環境がいまじょじょに現れつつある。
日本リーグが世界に通用するか、孤立しないか、それから先のことは私にはいえないからみなに聞きたい。日本バドミントン協会様、いや、聞いても仕方がなかった、皆様。
(*二〇〇七年十二月二十一日記)

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2007年12月16日 (日)

偽装

客を騙すのが商売のやり口で、食品の消費期限の偽装が話題になっている。船場吉兆は臨時雇用の女性たちがやったことだといっている。じつは取締役みずから指示している。要するに会社ぐるみであって、不二家、白い恋人、赤福、ミートホープ、雪印乳業、比内鶏、再生紙、新幹線駅弁、高級素麺、飛騨牛、鰻などもそうだが、我々人間すべてがやっていることだった。
ところで、バドミントンという競技はすべて偽装だった。けしてまともに打たなかった。ショートサービスかと思うとドリブンサービスがくる、クリアーがくるかと思うと、ドロップがきて、それは素直ではない、つぎはドロップですよといってドロップをする者はいないだろう、ドロップかと思ったらクリアーがくるので、ははあ偽装だな、私はそういっている、私も偽装の使い手なのだと、むろんいいはしないが思った。
いかにもそのとおりで、バドミントンの全部が偽装だった。あれは左を向いて右にやるなどなかなかできるものではない。
それがバドミントンだった。いかにも偽装である。バドミントンをすると性格が悪くなると思うならそう思うよりほかない。そして私はこの何十年間、人がいいので強くなれないといって笑いを誘っているつもりなのである。
驚いたことにいちばん偽装しているのが女性なのである。我々人間は老化に抵抗するのである。老化は避けられないから、若返らないのにこれに対して勇敢に挑戦するのである。
女性が挑戦するのは何百年も前からそうで、化粧しなかったことがないのである。だから、様々な美容方法が開発されるのである。十歳程度の偽装はごく日常、消費期限を大幅に延長しているだろ。巧みな化粧や衣装で賞味期限を延ばしているだろ。
これはなんといっても偽装である。胸元に生年月日を記したらいいがみなが反対するからできない。食品の消費期限の偽装といっても当たり前なのである。
(*二〇〇七年十一月三日記)

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2007年12月 4日 (火)

一区は日本人次第

あるプロゴルフ選手がバレーボールやバスケットボールは先がないスポーツと発言して、批判を浴びたと聞いた。プロがないスポーツでよくやる気になるなといったというのだった。
あれはまったくそのとおりでバドミントンだってそうだった。プロがないにもかかわらずがんばるのは凄いことであって、立派なことだった。ゆえに、国内のバドミントン大会が賞金化されればもっとがんばるのにと思った。
ところで、高校駅伝で外国人留学生(留学生)は一区禁止と決めたのはいただけない。あれは、恥ずべきことであり差別である。国籍も肌の色もない。これがスポーツの道徳だった。全国高等学校体育連盟(高体連)はケニアの走者は速過ぎるといっている。確かに速いが、これは食事(植物性糖質、植物性蛋白質、牛乳)、高地、筋肉、練習量、貧困、乳酸量、体型などではなかった。膝から下の体積の問題である。じつは足が驚くほど細いのである。十%ほど効率よく走れるのである。
それをけしからんというのはやさしい。ではなぜこのような恥ずかしいことを高体連あげて、決定したのか。速過ぎることは罪なのか。しかも日本人ではなくて留学生なのか。それにはじゅうぶんな理由がなければならない。
つい数年前まで留学生は排除といっていた高体連が、いまは解禁したと聞く。二〇〇五年度に高体連に登録された数はついに二百五十三人になった。高体連は全国高等学校総合体育大会での留学生参加について参加人数のおおむね二十%以内としていて、それでいて駅伝だと突出していると騒ぐ。あれはどこでも走れるという基本的人権が最優先されるべきである。
もっとも一区を禁止された留学生たちは、すぐ他区に回るのだから、今度はそこで牛蒡抜きする光景が見られるに違いない。ゆえに、留学生の力を封じることはできない。これは速過ぎるとはいっても禁じることではない。いわんや一区で日本人が留学生を置き去りにすればいいことだからこれ以上いうべきことはない。
(*二〇〇七年七月八日記)

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