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2008年4月16日 (水)

健身語録の三十(16)

■バドミントンは見るのも面白いが、するのはもっと面白い。
■暴力をふるわなくても指導はできる。
■バドミントンと恋愛は惚れた方が負け。
■みなやる気、意欲はもっているが、中途半端なものでは成功しない。
■練習で追い込み過ぎるな、試合前に息切れする。
■浮き沈みを知らない選手はいない。
■自分のうえにいるのが虎だったら諦めるけど、みな普通の人間。
■モーツアルトをいちども聴いたことがなく死ぬ人がいたら可哀想だ、バドミントンの面白さを知らずに死ぬ人も気の毒だ。
■選手は強くなりたいと思わないと絶対強くなれない。
■バドミントンの極意は剣の極意、心をどこにも置くな。
■抵抗なくつぎの動きに移れるのは柳の木状態。
■試合はいかに相手のよさを消すか。
■介護とバドミントンは逃げるより攻めろ。
■思い出に残る試合はすべての負けた試合。
■負けて覚えるのは悔しさだけ、勝ってはじめてやっていける。
■ビタミンBが足りないのが脳足りん。
■バドミントンはコートの中の宗教戦争。
■打てるものなら打ってみろ。
■私、バドミントンに好かれたい。
■練習をしなくては試合の前に負けてしまう。
■バドミントンにこうすれば勝てるという定理はない。
■スポーツでいちばん大事なのはクラブハウスで語り合う習慣。
■バドミントンはネットのうえにある勝利の取り合い。
■自分にいちばん期待しているのは自分。
■選手が強くなるのは化学反応みたいなもの。
■敗北はあなたはその程度ですかと神様がいってくれたようなもの、相手と負けに感謝しなくちゃ。
■ときはみなに同じだけある、それをどう使うか。
■ちっちゃな成功体験、ちっちゃな自信、それを重ねて心臓に毛が生える。
■ラケットと大切なものはそっともて。
■犬と人間は煽てて伸ばせ。
(*二〇〇八年四月十六日記)

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2008年4月 9日 (水)

みなさんチベット弾圧に抗議しましょう 

中国のチベット弾圧問題で欧州では北京五輪開会式への首脳不参加の動きに火がついたという。わが国はどうするか、首相は声高に非難し五輪と関連させることがいまの段階で適当かどうかよく考えなければいけないといっているから、抗議することを勧める。
日中両国の間で、皇太子殿下の開会式への出席が検討されているのは、悪い冗談としか思えない。親中派の首相だが、どうしても開会式に行きたいらしい。問題は八月八日まで首相でいられるかどうかだった。英王室のチャールズさんは出席しないと発言して、日本の皇室からもだれもこないとなると中国の面子は丸潰れではないか。首相は政権浮上のために、日中友好を演出しようとしている。
とはいえ中国のチベット弾圧。チベット住民の人権に目を瞑ってはならないのである。もし皇太子殿下が出席したらそれは世界に恥をさらすことになる。出席は、日本の将来におおきな禍根を残すことになるのではないか。毅然と要請を断るべきである。首相が中国に偏するあまりその圧制下で苦しむ民族に他人事のような視線しか向けられないのは情けないことです。
ロンドンでは在英チベット人らが聖火リレーに抗議行動を起こした。聖火を消そうとしたりトーチを奪い取ろうとしたから、走者は聖火警備隊に二重三重に囲まれてリレーを続ける事態になったのである。
パリではといったら、中国政府を非難する人権団体などによる抗議が相次いだのである。道路に横たわって抗議する団体があったという、警官隊が聖火を避難用バスに退避させるなど、途中で打ち切りになった。
このうえは各地で抗議の声が続くと思うよりほかない。これほど心を塞ぐ聖火リレーはない。三月、ギリシアで行われた採火式ではといったら、国境なき記者団の顔触れが乱入したのである。サンフランシスコやニューデリーでは市民から隔離リレーされたから、聖火は成果がないとでもいうしかないだろう。
北京五輪は中国共産党の祭典だろう。日本の首相がチベット問題についてなにもいわないようでは駄目だろう。それをいうのがお友達である。中国政府が武力弾圧を称して、暴動はダライ・ラマさんの策動と決めつけるのは勝手だが、中国政府諸君、あれも君たちのせいですぞ。
(*二〇〇八年四月九日記)

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2008年4月 3日 (木)

ちかごろバドミントン界の眺め 

二〇〇八年二月十日のことです。私は日本バドミントン協会のホームページを、なんとなく眺めていました。二〇一二年から国民体育大会、日本スポーツマスターズ、全国スポーツレクレーション祭の監督は日本体育協会(日体協)が定める公認スポーツ指導者でなければならないと決定しましたとあったのである。
多くの人たちのように私もこれを読んで、そうなのかとぼんやり理解した。それは他の大会もそうなのかと思ったら、そうではないことが分かった。文部科学省と日体協が主催する大会だけ資格がいるというなら、それは変な話になる。
プロ野球は監督になるに当たって、なにも資格はいらないのである。元選手がなっているから、それで支障がなくて、見るにつけ、プロ野球は日本スポーツの王様だった。
こうなると資格とはなにかで、選手としての経験も一つの資格だった。それは十分の一は役に立った。厳密にいえば九の勉強がいる。資格は足の裏の米粒のようなものだ。取らないと気持が悪い。小中学校の運動部の監督は教員で、スポーツとはなんの関係もないと知人は笑う。ミャンマーの大統領資格はおかしかった。軍事知識だという。
もう一つ、中国オープンバドミントン選手権大会(二〇〇七年十一月)の審判団は酷かった。中国選手に有利に判定した。覚悟の誤審で、これでは相手に気の毒だし、選手と同一国籍の審判は試合に関われなくするしかないが、男子複では韓国選手が怒って途中で試合を拒否したから、それは大会始まって以来の珍事で、もう、疑惑の判定はハンドボールばかりではないのである。
韓国オープン(二〇〇八年一月)のことになります。世界バドミントン連盟は審判の身贔屓を、調査することになりました。男子単決勝のイ・ヒュン・イルさん(韓国)対林丹さん(中国)の対戦で意図的な誤審が繰り返されたのです。
これは明らかなお返しだ、身贔屓で不公平で、これではバドミントンがプロレスみたいになってしまうと、林丹さんが大荒れしたから私はざっとこんな風に思っている。けれども稀には敵地で戦うことはそういうことだという話もある。
(*二〇〇八年四月三日記)

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