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2008年4月 3日 (木)

ちかごろバドミントン界の眺め 

二〇〇八年二月十日のことです。私は日本バドミントン協会のホームページを、なんとなく眺めていました。二〇一二年から国民体育大会、日本スポーツマスターズ、全国スポーツレクレーション祭の監督は日本体育協会(日体協)が定める公認スポーツ指導者でなければならないと決定しましたとあったのである。
多くの人たちのように私もこれを読んで、そうなのかとぼんやり理解した。それは他の大会もそうなのかと思ったら、そうではないことが分かった。文部科学省と日体協が主催する大会だけ資格がいるというなら、それは変な話になる。
プロ野球は監督になるに当たって、なにも資格はいらないのである。元選手がなっているから、それで支障がなくて、見るにつけ、プロ野球は日本スポーツの王様だった。
こうなると資格とはなにかで、選手としての経験も一つの資格だった。それは十分の一は役に立った。厳密にいえば九の勉強がいる。資格は足の裏の米粒のようなものだ。取らないと気持が悪い。小中学校の運動部の監督は教員で、スポーツとはなんの関係もないと知人は笑う。ミャンマーの大統領資格はおかしかった。軍事知識だという。
もう一つ、中国オープンバドミントン選手権大会(二〇〇七年十一月)の審判団は酷かった。中国選手に有利に判定した。覚悟の誤審で、これでは相手に気の毒だし、選手と同一国籍の審判は試合に関われなくするしかないが、男子複では韓国選手が怒って途中で試合を拒否したから、それは大会始まって以来の珍事で、もう、疑惑の判定はハンドボールばかりではないのである。
韓国オープン(二〇〇八年一月)のことになります。世界バドミントン連盟は審判の身贔屓を、調査することになりました。男子単決勝のイ・ヒュン・イルさん(韓国)対林丹さん(中国)の対戦で意図的な誤審が繰り返されたのです。
これは明らかなお返しだ、身贔屓で不公平で、これではバドミントンがプロレスみたいになってしまうと、林丹さんが大荒れしたから私はざっとこんな風に思っている。けれども稀には敵地で戦うことはそういうことだという話もある。
(*二〇〇八年四月三日記)

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