うまくなったねという
娯楽志向のバドミントンクラブに行ったときにはどうすればいいか、褒めるよりほかないと長年私は褒めちぎっているが、そればかりではいけないだろうからここですこしいうことにする。ただ褒めるときはコートの中ですぐいう。下手でもエリカうまくなったねと回りに聞こえるようにいう。
たとえば私がエリカと複のペアを組んだときだ。そのエリカときたら、うまくなったねといって褒めると、その喜ぶことひとかたではない。ただし、もうちょっとネット前ができるようになるといいのだけれど、とつけ加える。
褒めるといいのではあるが、褒めてばかりいると、まさかとは思うがエリカは増長するかもしれない。だから、もちょっとネット前ができるようになるといいのだけれどとつけ加えるのだ。まず最初にエリカうまくなったねと褒めて、有頂天にさせ、そしてもちょっとネット前をというと、一生懸命に聞いてくれるから私はにっこりする。
これがたとえば最初に、おまえはネット前が下手だ、というと駄目なのである。エリカがべつにといってふて腐れるのはそのせいである。日本のバドミントン指導者でもっとも欠けているのはこの姿勢であること、褒めることだ。選手のやることを肯定したらなんでも聞いてくれる。いま悪いのは最初に否定するそのせいである。
私はエリカに、エリカうまくなったねといって褒めるが、このごろ見られるようになったのは、長くやっておればだれでもそれなりにうまくなるからだった。さりとて市町村民体育祭以上の水準にはならないだろう。エリカたちの複は終始サイド・バイ・サイドで困っているが、四人で半面単をしていて、トップ・アンド・バックになることがないと、私は笑っている。
じつをいうと私はそれをいうことを控えている。
(*二〇〇八年五月七日記)
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