人間が高まらなーい
だんだん年を取る。これで分かることは年は取るが、人間は高まらないということである。まったく高まらない、高まるなんてことが分からない。
自己中心になるだけではないか。勝手になるだけではないか。子どものころとなんら変わらない。子どものころ大人は深く難しいことを考えているのだと思っていたのである。その私が三十、四十、五十、六十になる。
なってみたらなんてことはなかった。すなわち子どものころ同じである。考えていることはもっと単純である。そのことに気付くと、大人は高邁なことなんか考えてなかったことが分かる。そう思い込んでいただけである。この世に高邁なことなんか存在せぬ。これが現実で、自分の利益だけしか考えてないと分かる。げんに私はつまらない人間になっている。ゆえに、人間は高まらなかった。豊かな人間性もなかった。
以上、簡単。間違っていたら許しておくれ、ただし、証拠を見せて。
また立派な話はみな嘘で、私は聞かないようにしている。読まないようにしている。人はみな飾っていうのである。人間が年齢とともに高まるというなら、私はとっくに高まっていなければならない。私ごときにそれを要求するのか。人間が高まらなーい。
(*二〇〇八年十一月二十四日記)


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